徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

総理府賞勲局監修 毎日新聞社刊「勲章」

イメージ 1

昭和51年発行で、もう古い本だが、勲章関係では有名なのが毎日新聞社の「勲章」。
(表紙の勲章は勲一等宝冠章の副章。)

大判でカラー図版が多く、写真が美しいのでけっこう見応えがある。そのせいか、古本ではたまに見かけるのだが割と値段が高くてなんとなく買いそびれていたのだが、最近やっと格安で入手できたのでここでとりあげることにする。手っ取り早い資料として、なかなか重宝しそうな一冊だ。

この本では、日本のすべての勲章、褒章(終戦とともに廃止された金鵄勲章も含む)がカラーで掲載されている。個人的には元帥徽章などが見られるところがうれしい。
写真だけでなく、叙勲制度の概要や歴史、様々なエピソードが書かれている。

本の後半では外国勲章についても写真とともに触れられている。こちらは勲章コレクター・長堀勝夫氏らのコレクションが中心のようだ。
イメージ 2

(キャプション「勲章愛好家清川晃一さんと秘蔵の世界の勲章 右は勲章保存会理事長中堀勝夫さん」)

この本の中で、コレクター中堀氏による勲章にまつわるエッセイがある。
勲章-それは、私の少年時代からの強烈なあこがれだった。」という一文から始まる。
少年雑誌や新聞に掲載された勲章を胸に輝かせた武官・文官の写真や、従軍体験者の話、学校の記念式典に勲章を身に帯びて現れる来賓の姿などに見て、勲章に対する強いあこがれを抱いたそうである。まあ当時(戦前)の平均的な少年らの思いであろう。

中堀氏は、15の時故郷の佐渡を飛び出して東京に丁稚奉公する。銀座の露天で偶然外国の勲章が売られているのを見つける。値を聞くと、3円50銭。丁稚としてもらえる月給が5円という頃の話だ。が、さんざん悩んだ末に思い切って購入。あとで、それがフランスの有名な勲章レジョン・ド・ヌールの五等であると知り、喜びにひたったそうである。

さて、そんな少年も昭和19年航空兵として入隊。教育機関を終えて転属したときにはすでに終戦を迎えることとなる。「勲章どころか従軍記章もいただける機会がなくなり、まったく残念だった。」
・・・・戦争終結よりも、勲章(記章)がもらえなかったことのほうが重大事なのである。

戦後、勲章は軍国主義の象徴として、その地位は地に落ちる。外国人の土産物となったり、アクセサリーに転用されたり、キャバレーのホステスが店でつけたり、そんな風潮に中堀氏は自ら収集・保存に努めることを決意する。(よほど憤慨したのか、この辺の話は彼のほかの本でもあちこちに出てくる)
そして、日本で制定された勲章、記念章、従軍記章だけは全部そろえようと讃岐の金比羅さんへ願をかけた。

彼の別の本(昭和33年刊「勲章-歴史の足跡-」)では、そのエピソードが書かれている。全部そろえると誓ったものの、さすがに日本最高位の勲章である「大勲位菊花章頸飾」の入手には苦労したらしい。なにせ、民間では11個しかないという。
そこで、「閑院、伏見、梨本などの宮家、伊藤博文公、大隈侯、松方侯、山形元帥、東郷元帥、徳大寺侍従長など明治の元勲の邸宅へほとんど日参」したというからコレクター執念恐るべし。
その苦労あって、6年がかりでようやく手に入れることができた。これが昭和30年のこと。

噂だが、中堀氏の死語、コレクションは売りに出されてちりぢりになったとか・・・詳しい話をご存じの方情報お寄せください。

追加:
昭和50年当時は社会主義圏の勲章や情報は、勲章マニアですら手に入らなかったらしい。
「外国勲章のいろいろ」というページに、主要国で制定されている勲章について記載されているが、たとえば中華人民共和国については、
八一勲章(革命戦争功労者のもの)を皮切りとして建国5周年頃から独立自由勲章、解放勲章、国旗勲章などの制が行われている」などとちょっと意味不明のことが書いてある。
・八一勲章、独立自由勲章、解放勲章、及び各奨章が制定されたのは1955年で、建国6年後のこと。八一勲章から順次に制定されたのではない。
・中国には、国旗勲章という勲章は存在しない。おそらく朝鮮戦争に従事した軍人が北朝鮮から授与された国旗勲章と混同したものと思われる。
文革期には完全に廃止されたので、この本の発行時、すでに叙勲制度自体がなくなっていたはずである。
・・・とまあ基本的なことなのだが、ざっと見てかなり間違いが多い。時代を考えればやむを得ないのかも。