徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 景徳鎮製 毛沢東バッジ

日曜日、感動のフィナーレを迎えた第92回世界エスペラント大会。
この日横浜を後にした我々が次に向かったのは、 渋谷区立松濤美術館だった。


この展示会、私も新聞で広告を見てちょっと気にはなっていたのだが、ぜひ行こうと決意したのは友人からの情報提供だった。タイトルからではわかりにくいが、かなり私にとって興味を惹く展示会のようなのである。

この美術館を訪れるのは初めてだったが、こぢんまりした美術館である。それにしても、大人1人入場料が300円というのは安いなあ!

会場は1部と2部に分かれていて、1部は宋から明・清の歴史的な陶磁器の展示。青磁の青い玉のような輝きが好きな私だが、清朝の華やかな色物も好きである。なかなか楽しい。
・・・だが、今回の展示会の真の目玉は、友人の情報提供にもあったとおり、第2部にある

毛沢東主席のためにつくられた7501工程(1975年の第一級の任務)の食器や文房具など約130点」の日本本格初公開なのである。
1975年、中国中央政府は、秘密裏に毛沢東専用の食器類を景徳鎮に特別に作らせた。
これらの製品は、中国歴代皇帝が作らせた陶磁器ににならって、「現代の官窯」とも呼ばれているそうだ。

しかし、毛沢東は1976年に死去。北京に納品されたもの以外、景徳鎮に残された多くの製品は、中央から廃棄指示をうけたものの密かに関係者に分けられたという。
こうして民間に流出した7501工程磁器だが、ある個人コレクターが目をつけ、10年以上にわたって600点以上を収集、上海の実業家のもとで展示されている。
この7501工程食器は、かつては一部の人しか知らなかったが、現在ではかなりよく知られるようになり、
オークションなどでは非常に高値がつくらしい。

で、これがその7501工程食器の一部である。
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白磁に梅や桃の花を描いた普段使い用の食器である。なお、これらの花は、毛沢東の詠んだ詩に由来している。

展示会でさんざんじっくりと目に焼き付けてきたが、シンプルながら質の良さが伝わる。透き通るような薄手の白磁の肌に、デザイン化された花々の絵付け。読書の虫でしばしば寝食を忘れた毛沢東のため、料理が冷えないようにすべての食器にはふたつきにするよう配慮されたという。
かつて景徳鎮でこの仕事に従事したある陶工は、その技術の高さゆえに「今ではもう再現できないだろう」と語っている。

とてもおもしろかったので、帰りがけに展覧会の本を買ってきた。こういうのは普段はあまり買わないのだけど。


景徳鎮で毛沢東専用食器が焼かれていたというのは意外に思う人もいるかもしれないが、文革期は景徳鎮で毛沢東像やバッジがたくさん製作されていたのである。それを考えれば別に不思議はないだろう。


私のコレクションには、陶器製毛沢東バッジが多数あるが、その中からひとつ紹介する。
イメージ 2


質の高い焼き物を見た後では、まあまりたいしたモノじゃないのだが、典型的な陶製焼き物バッジである。昔、まだ私が駆け出しコレクターの頃、陶器製バッジを見つけて、これは珍品だ、しかも景徳鎮製!と喜んで集めていたことが、実はある。
しかしなんのことはない、実はそんなモノは大量にあるので、そのことに気づいて以来、あんまり陶製バッジには関心がなくなってしまった。
(実際には、陶製バッジにもすばらしく豪華なツクリのバッジもあり、なかなか奥が深い)

ところで、7501工程の磁器だが、実は今から10数年前、私は香港で見たことがある。焼き物専門の店のショーウィンドウで、確か梅の柄の食器だった。説明書きが貼ってあった。
値段を聞くこともなかったのだが、今から思えば、あの時買っておけばよかった・・・という気持ちが、この展示会を見た後で、ふつふつと沸いてきた。
そもそも真贋もわからないのだから、本当はどうしようもないのだが、値段だけでも聞いておくべきであった、と後悔している。民間に流出した件数自体はかなりの数あったわけで、その一部が香港の業者に流れてきても不思議はない。
いや、しかし、やっぱりニセモノだったのかも・・・などと、今となっては悩んでも仕方ないことで悩んだりしている。

それにしても充実した休日でした。