徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 日本軍警備隊記念バッジ

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これもコレクションから出てきたのだが・・・

1937年、盧溝橋事件を契機として日中戦争が勃発。日本軍は河北地方(北京、天津、河北省)を支配下に置き、12月には中華民国臨時政府を設立させた(1940年からは、南京を首都とする中華民国南京国民政府に合併)。
要するに、日本の軍事力を背景にした傀儡政権である。

このバッジは、その頃のものだろう。私は日本国内で手に入れたのだが、日本軍の兵士が大陸から持ち帰ったものと思われる。

銀板にタガネで一画一画文字を彫り込んだ素朴なタイプ。紛れもない中国製である。
裏面には材質のホールマークとメーカー名が打刻されている。
東石橋日軍警備隊殿 清苑県第二区全村敬贈 記念」とある。
清苑県は、河北省の保定市に属する。このバッジは、村に駐屯する日本軍部隊へ贈呈したものだろう。

実際、こういった記念品は日本にはけっこう残っているようだ。旗、幟、様々な書、そしてバッジやメダルの類等々、実に多様である。まあ、客観的に言って時の支配者へのゴキゲン取り、みたいな部分はあったのだろうなあと思う。
だからといって特に否定的な目で見る必要はない。
権力者の歓心を買おうとするのは、いつの世でも、相手が誰だろうと、いつの世にもあることだ。
日本だって、敗戦後、支配者となったGHQ幹部の機嫌を損ねないように、涙ぐましい努力をしたものだ。
もっとも、中国では対日戦争に勝利を収めてから、対日協力者に対するいわゆる漢奸裁判などが行われたのであったが・・・。

これら大陸から持ち帰られたアイテムを、私は「傀儡モノ」と呼び習わしている。
実を言うと、昔はあまり傀儡モノに関心のなかった私だが、最近はちょっと興味を持つようになっている。

例えばこのバッジだが、表記自体は中国語であるが、日本人なら中国語をまったく知らなくても、書いてあることはすべて理解できるだろう。
殿」という敬称は中国語にはない。日本語を意識した表記である。
一方、日本軍を「日軍」とする略称は、日本人にも誤解なく伝わるだろうが、日本では一般的な呼称ではない。こちらは完全に中国語である。

そして、鎖でつり下げるバッジは、まず日本ではほとんどお目にかからない。いかにも中国的な製品である。