徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 南京城壁修復運動バッジ

イメージ 1

そうかー、日中戦争下の1937年南京事件から70周年なのだそうだ。12月13日、日本軍はついに南京城壁を突破、南京は陥落する。
以前紹介した、首都抗戦蒙難同志会会員証バッジ はこちら。

南京の大虐殺記念館、正式名「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」もリニューアルされたそうだ。
今まで私は3度南京を訪れたことがあるが、いつも時間がなくて、この記念館には入ったことがない(通りかかったことはある)。いつも次こそはと思ってはいるのだけど。
日本語の「大虐殺」という語もおぞましいが、中国語の「大屠殺」という語にもまたなんか別の凄味がある。即物的というかなんというか・・・

被害者の人数については、さまざまな説があるのだが、たった数十年先の歴史でさえそんなに不確かだというという事実には、なんだかすごい不安感を覚える。ナチスユダヤ人虐殺でさえ、そんな事実はなかったという人たちは大勢いるのである。アメリカ軍は原爆など投下していないというのもあったな。
歴史学って無力だなあ・・・とつくづく思うのである。歴史よりも、今現在の方がはるかに優位なのである。

それはさておき。今日のバッジである。めずらしく、私がコレクションとして入手したモノではなく、私が実際にもらったモノだ。
1995年、南京の城壁を修復しようという運動があって、その募金活動を日中友好会館かどこかでやっていたのである。たまたま訪れた私は、ささやかな額の募金したのだが、そのときにもらった。
表面には「中国南京 NANJING CHENGQIANG(南京城壁)」裏面には「1995.5」とある。

南京は古都であって、歴代王朝が都をここに置いたが、どういうわけか南京を首都とする王朝は短命に終わっている。中華民国も40年を経ずに台湾に叩き出された。

南京を訪れたことのある人なら誰でも、城壁の雄大さに街の歴史を感じることだろう。特に南端にある中華門のデカさは圧巻だ。
だが、その城壁は戦災や都市開発によって至る所で分断・消失しており、それを修復しようというのである(修復事業の様子はその後報道で見たことがある)。

中国の古い都市はみな城壁で囲まれているのだが、これは街の発展という点からみると実に邪魔っ気なものである。これは中国に限った話ではない。ローマですら古代の城壁を破壊したが、いくら歴史遺産を重視しようと、これを再構築しようという話にはならないだろう。あまりに邪魔すぎる。

とはいえ、無責任な旅行者にしてみれば、巨大な城壁に囲まれた都市というのは実にミモノで、それだけで観光資源になりうるくらいだ。まあ私が募金をしたのもそんな気持ちがあったからだ。
が、これが北京みたいに現代の巨大都市になってしまっては、もう不可能だ。西安は今も保存状態のよい城壁に囲まれているが、あれはあの程度の規模の地方都市だから可能なのだと思う。
だが、巨大城壁に囲まれた北京も一目見たかった・・・とは、今も残る故宮や城楼を見て思わずにはおられないのである。