徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 「呉橋県全体民衆敬贈」日本兵への記念メダル

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8年にも及ぶ中国との全面戦争で、日本は中国の主要都市を次々に占拠、支配地域を拡大していった。もっとも、日本政府が考えていた「不拡大方針」などは絵に描いた餅に過ぎず、まして軍部が期待していた中国側の早期降伏などは、根拠のない独りよがりの願望でしかなかった。

1937年7月、盧溝橋事件が勃発すると、日本軍はたちまち河北省を占拠、12月には北京を中心として河北省、山東省、山西省河南省、北平市、天津市、青島市を支配する中華民国臨時政府を成立させるにいたる。

これらの地に進駐した日本軍に対し、現地民からいろいろな記念品が贈られている。今日の一枚もそのひとつ。「呉橋県全体民衆敬贈」とある。呉橋県というのは、現在では河北省滄州市にある町。
さらに、そして「生城山軍曹恵存」と手彫りされている。「恵存」とは、記念として贈る、というくらいの意味である。
「生城山」という姓は珍しく、これは日本人なのかどうか考えてしまったが、軍曹という階級名は中国軍にはなく(「中士」になるのか?)、まあ日本人には違いないだろう。

メダルはやや小型ながら、青系で統一された七宝の配色が美しい。オリジナルのケースも残っており、そこに入っていたため保存状態が極めてよいのがうれしい。どんなにきれいに扱われていても、ケースに入ったりしていないと、メダル本体はともかく、リボンは薄汚れたり色あせたりしてしまうものである。

実はこのメダル、アメリカから購入したものだ。中国人から日本兵に贈られたメダルが、なぜアメリカから出てきたのか。生城山軍曹は、果たして無事に日本に帰って来られたのだろうか。
今となっては知るすべはないが、ちょっと気になるところではある。

こうした中国人から日本軍への記念品は、けっこう数多く残っていて、たまに「日本軍も悪いことばかりしたわけではない。中国人に感謝されるよいこともたくさんした。こうした記念品はその証拠だ」という論を述べる人もいるのだが、さてどうだろうね。
へそ曲がりの私としては、あんまりその種の説には賛成しない。そりゃちょっと、あんまり無邪気すぎる解釈なんじゃないか。
むしろ、支配者として現れた異民族軍に対して、感情を害さないために記念品を贈ったのだろうと思う。
要するに、ゴマすりである・・・といっては言い過ぎかも知れないけど。