横須賀の三笠公園では、日露戦争の日本海海戦で旗艦として活躍した「戦艦三笠」が公開展示されている。3年前だが、ようやく行くことができて、これはそのとき撮影した写真である。
それにしてもこの戦艦のたどった運命は、紆余曲折に満ちたモノであった。
大正に入ってワシントン軍縮条約で廃艦が決定するが、日露戦争勝利の立役者として親しまれた三笠は、記念艦として保存されることが決まる。第二次大戦後は放置され荒廃が進むが、のち保存運動が活発化し、現在に至るというわけだ。
戦前、戦後の保存運動を支えたのが「三笠保存会」である。画像のバッジはその三笠保存会のもので、表面はZ旗(皇国の興廃此の一戦に在り)、裏面には「三笠保存会」と「此一戦」の文字が見える。
バッジの裏面のツクリは、半月型の足をボタンホールにねじ込むタイプで、この型のバッジは比較的古いモノである。
同年9月、佐世保に入港した三笠は、内部事故により爆沈してしまう。日本海海戦での被害を遙かに上回る300名以上の水兵の命とともに佐世保湾に沈んだ(後、引き上げ修理により復帰)。
原因は、水兵たちが弾薬庫でアルコールを飲んでいたときに引火、爆発したためとされる。「民族の栄光」、「歴史的大勝利」と称えられる海戦の顛末としては、信じがたい不祥事であった。
(そのためか、記念艦「三笠」公式ホームページでもこの事故については一切触れられていない。)
原因は、水兵たちが弾薬庫でアルコールを飲んでいたときに引火、爆発したためとされる。「民族の栄光」、「歴史的大勝利」と称えられる海戦の顛末としては、信じがたい不祥事であった。
(そのためか、記念艦「三笠」公式ホームページでもこの事故については一切触れられていない。)
敵は身内にあり、っていう格言とはちょっと意味あいが違うかもしれないが、真に恐るべきはまずわが味方なのだなあ、と感じざるを得ない。