徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 大日本武徳会会員章

イメージ 1

戦後日本を統括したGHQが軍国主義のシンボルとして警戒したのは、国旗だけでなく日本の武道もであった。

近代日本に入って、諸伝統武道を統括し振興する目的で作られたのが、「大日本武徳会」である。明治28年に発足し、同42年に財団法人として認可された。
会の名称を「武道会」ではなく、「武徳会」としたところに見逃せないこだわりを感じる。西欧文化に触れ、圧倒された異文化が、伝統的精神の堅持に走ろうとするのは、世界中で見られたごく普通の傾向なのであった。

昭和にはいると、武徳会はいよいよ国の外郭団体として、軍国主義的国策との同一化の道をたどることとなる。
「官民一体化」というのは、政府組織と民間団体が協力する体制になったという意味ではもちろんない。官の下に民が統括されるようになることを、今も昔も「官民一体化」と表現するのである。
ま、その過程が比較的穏やかかつスムースであったというニュアンスは若干含まれるかもしれないね・・・というのはもちろん皮肉だ。

ともあれ、敗戦。GHQは、武徳会を明確に標的に選んだ。
武徳会のたどった道は、解散だけではすまなかった。公職追放にまで及んだ武徳会員は千名を超えたとされる。

まあ武徳会の会員がいかに多かったかは、その遺品として今に残る武徳会の会員章の数の多さからも実感できる。戦前戦中の組織関係のバッジの中では、在郷軍人会の会員章の次に多いんじゃないかと思う。

チョウチョウ結び型に留められたリボンが特徴的だ。八角形をした神鏡をかたどった中に、隷書体で「武徳」の文字と、武技を表す弓矢が描かれている。なぜか、形状の異なる鏃を持つ2本の矢が描かれているが、これは何か意味があるのかなあ・・・よくわからん。
画像のバッジは安全ピン型であるが、他のタイプもある。

また、武徳会にはユニークな形を持つ「有功章」が定められていて、たまに見かける。そのうち紹介することとしよう。乞うご期待。