徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

フランス ヴィシー政権バッジ

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久しぶりにヨーロッパモノを。

第二次世界大戦で、ドイツ軍の侵攻が始まるやあれよあれよという間に占領されてしまったフランス。1940年、ドイツと休戦協定を結んだフランスは、首都をフランス中部の街ヴィシーに遷す。連合軍の反攻によりフランスがドイツ軍から解放される1944年まで、曲がりなりにもフランスを代表したのがこのヴィシー政権である。
ドイツとの戦争は不可能、と考えてのことだと思うが、結果的にはドイツの傀儡政権化したのであった。

ロンドンに亡命して、対独戦争継続を訴えたドゴールらのフランス亡命政権との対立、戦後ヴィシー政権の首班ペタン首相が死刑宣告(のち減刑)されるなど、哀れな傀儡政権らしい末路をたどったのであった。理由はともあれ、後の世からの評価も決して高くない。どちらかといえば、フランスにおける暗黒史みたいな感じがする。

バッジは、ファシスト政権でよく用いられる斧がシンボルとして描かれる。星がちりばめられたハデな両頭の斧は、どういうわけだかアメリカっぽい雰囲気アンクル・サムが、この斧を担いでいても違和感ないんじゃないかって感じだ。

特に評判が悪いのはユダヤ人への迫害で、そういえば、「バティニョールおじさん」って映画のことを今書いてて思い出した。
ひょんなことから、ユダヤ人の子供のスイスへの脱出を手伝う羽目になった食料品店のオヤジ。フランス人警官に見つかり捕まったとき、彼は「おまえらはナチ以上のナチだ!」とタンカを切るのであった。

しかしまあ、ペタン将軍のことなど読んでいると、私としてはどうしても中国の汪兆銘のことを連想せずにはいられない。なんだかそっくりだものなあ。