徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 1952年チベット解放記念章

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昨日から、チベットで暴動発生とのニュースが伝えられていて目が離せない。

昨年の夏には、ついに青蔵鉄道青海省ゴルムド~チベット自治区ラサ)がついに開通し、かつて秘境の中の秘境というイメージの強かったチベットも、ますます開発が進行している。
特に、近年の中国は観光ブームに沸いていて、チベットでも観光業の伸びが著しいという。

20世紀初頭では、チベット行きは旅行ではなく、ほとんど冒険であった。それが、今では日本の女子大生が個人旅行で訪れることができるようにまでなっている。
そんな状況で起こった事件である。

今日はさっそくチベット現代史に関するメダルを紹介する。
「解放西蔵記念」と漢字で書かれた下に、チベット文字が並ぶ。チベット文字の内容も漢字と同じはずである。
やや縦長のメダル本体は、麦穂とリボンに囲まれていて、これも中国ではおなじみのデザイン。中央には社会主義を象徴する大きな赤星、黄河と長江が流れる中国国土(もちろん台湾も注意深く含まれている)、そして上部には赤旗毛沢東肖像が描かれる。
よく見ると赤旗の旗竿はチベットの位置に立てられていて、そのチベットもよく見ると山々が描かれている。さらに、赤星の右下の角は、ちょうど北京の位置に置かれているのがわかる。
裏面には、西蔵軍区頒発 1952.8.1.」とある。8月1日は、もちろん中国人民解放軍の建軍記念日である。

1949年10月に中華人民共和国の成立が宣言されてからも解放軍による全土制覇の戦いは続いた。解放軍がチベットに入ったのは1951年。チベットには解放軍の軍区が作られた。
このメダルは、その頃作られたものである。
しかしまあ、「チベットに突き立てられた毛沢東赤旗」というデザインは、まあよくあるパターンながら、なんとなく深読みしたくもなる図でもある。

その後、1950年代の中頃には急進的社会主義政策が中国全土で行われるようになると、チベットではこれに反発する動きが加速、ついに1959年には大規模な武力衝突が発生した。ダライ・ラマ14世はインドに亡命、チベット亡命政府が組織される。
共産党からしてみれば、チベットにおける活仏を中心とした宗教的政治体制や封建的農奴制などは、コミュニスト的には生理的に受け付けない嫌悪の対象でしかなく、それらから人民を「解放しなければ」ということになる。
で、その結果、他民族への理解と共感を欠いた「手荒い改造」が行われたことは想像に難くない。

が、最近のニュースでも、インドでもチベット人のデモ活動が大量に検挙されるなど、チベット亡命政府のインドでの立場は何となく微妙になりつつあるようにも見える。

さて、中国政府はこの騒動をどうクリアするつもりであろうか。
北京五輪まであと5か月を切った。環境問題とかもそうだけど、ああ、だから私は中国でのオリンピックは時期尚早だと、今やるのは中国にとっても却ってマイナスだと、あれほど言ってきたのになあ・・・