徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 新疆ウイグル自治区製 文革期毛沢東バッジ

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♪さーさーの葉サーラサラ・・・♪と、日本情緒あふれる七夕の夜。そんな夜にも、遙か西方の地では争乱が続いている。

とにかく気になるのが、先日5日、中国の辺境、新疆ウイグル自治区で発生した民族暴動である。中国当局にとっては、ある意味昨年3月のチベット争乱よりも大きな問題であろう。が、どういうわけか欧米を初め、国際世論はチベット人ほどには、イスラム教徒であるウイグル人には同情的でないのである。
ひとつには、ウイグルにはダライ・ラマのようなわかりやすい「シンボル」がいなかったり、どこか神秘的なチベット仏教と、イスラム教に対するイメージ(あくまでもイメージ)の差もあるんじゃないかとも思うが、これは私の想像だ。

ところで、最近刊行された「中国の民族問題 危機の本質」加々美光行岩波現代文庫)が非常におもしろい。特に、モンゴル、チベットウイグルの主要少数民族にスポットを当て、中国現代史における民族問題を扱っている。
この本では、中国人世界としての国土意識にも触れ、単に地下資源確保や地政学的戦略などの実利面から中国人(漢人)が民族独立運動に反発しているわけではないという点に、私は大いに納得したものだ。オススメの一冊。

さて、今から約40年前、はるか新疆の地でも、文化大革命は行われていた。
この本によると、造反派と既得権層の争いは中国各地で内乱状態に発展していたが、新疆では造反派に対する反感などから、少数民族も武闘に参加し、多数の死傷者を出す争いもあったという。また、中ソ対立を背景に、ソ連の支援を受けた多数のウイグル人が、解放軍に対して反乱を起こしたこともあったらしい。とにかく主要都市だけでなく、辺境も大変な時代であった。

まあマジメな話はともかく、ここで取り上げるのは2枚の毛沢東バッジである。
パッと見、何の代わり映えもない毛沢東バッジだが、ともに裏面にウイグル語が表記されているのが興味深い。いわゆる「少数民族言語モノ」である。

現在ではウイグル語は、アラビア文字を改良した文字が使われているが、かつてはラテン文字で表記していた時代があったのである。
1枚目は、表面が毛沢東の肖像だけ。裏面には、「毛主席万歳 YAXSUN MAO ZHUXI」。YAXSUNというのが、ウイグル語での万歳か。MAO ZHUXIは、そのまま漢語である。

2枚目には、毛沢東肖像と山なみが描かれている。新疆のシンボル天山山脈だろうか。裏面には、「新疆ウイグル自治区革命委員会成立紀念」。上の方に細かいラテン文字が見えるが、漢字と同じことがウイグルラテン文字で書いてあると思われる。
新疆ウイグル自治区で革命委員会が成立したのが1968年9月。この時に作られたバッジである。1967年1月に黒竜江省で初の革命委員会が誕生してから1年半以上も遅く、全国ではもっとも遅い成立である。主任は林彪系軍人の龍書金であった(1971年の林彪事件連座して失脚)。

こうした少数民族語のある毛沢東バッジは、他にもあるが、まあ珍品の類に属する。

そろそろまた中国に行きたくなってきた私にとって、ウイグル騒動はしばらく目が離せないニュースとなりそうだ。