徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 清里「ポール・ラッシュ記念センター」で展示のバッジを見る

ガソリンが値上げされる前に・・・というワケでもないのだが、あまりに天気が良く、平和なゴールデンウイークなので、珍しくドライブに出かけることに。
目的地は八ヶ岳清里方面。私には未知の土地である。

心配された渋滞もそれほどなく、無事到着。高地だけに、新緑はまだこれからといったところだが、八ヶ岳南アルプスの峰々が美しく見えた。
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清里清泉寮。聖徒アンデレ同胞会の本部・指導者訓練キャンプ施設として1938年設立。聖公会の成人でもある、聖アンデレのX字型の十字架=アンデレクロス旗がはためく。)

さて、今回の目的地にまったく予備知識がなかったので適当に巡ったのだが、意外におもしろかったのが、この清泉寮の創設者のアメリカ人、ポール・ラッシュ記念センターであった。

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(記念センターにて、ポール・ラッシュの写真。笑顔がとても印象的な人物である。)

ラッシュの概歴は、だいたい次のとおり。
関東大震災の復興事業に参加するため来日、立教大学などで教鞭をとりながら、聖徒アンデレ同胞会(聖公会)の事業に共鳴し参加。清里清泉寮を設立するも、戦争勃発により一時帰国。戦後はGHQ将校として再来日、清泉寮を拠点に農村センターを建設。医療や教育、農業学校を運営する。1979年東京聖路加国際病院にて、82才で死去。
・・・なかなか数奇な人生という感じがする。

さて、この清泉寮、今は観光名所にもなっていて、ジャージー牛のミルク(大変コクがあっておいしい)やジャージーミルクのソフトクリームなどが人気。天気の良い休日とあって観光客で混雑していた。

そこからしばらく森の小道に入っていくと、そこに「ポール・ラッシュ記念館」がある。
こちらにはうって変わって誰もいない

展示品を見ていくと、思ったよりいろんなものがあって、これが結構おもしろかった。ほかに見学者は誰もいなかったので遠慮なく写真撮影をさせてもらった。
まずはこちら。
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聖アンデレクロスのバッジ2点。こういうバッジってなんか好きなんだよなー。いかにも「シンボル」を胸に抱いているって感じで。

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こちらは清里農業学校のバッジ。農村センターに設置された農業研修施設で、1963~1973年まで運営されていた。FSはファーマーズ・スクール、Kは清里の略だろうか。

もう一点、こちらは記念館内に併設されている「日本アメリカンフットボールの殿堂」で見つけた。
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フットボール関係の小物に混じって置かれていたのだが、なぜか脈絡もなく衆議院議員!紛れもないホンモノである。
松本瀧蔵というのがどういう人かよく知らなかったのだが、帰宅してから調べてみると、1946年の第23回衆議院議員選挙に広島1区から初当選(以後5回当選)。アメリカで育ったため英語には堪能で、戦後スポーツ復興に大いに活躍した人物という。なにかのきっかけで、アメフト関係者に贈ったバッジがここに展示されているのかも知れない。
意外なところで意外なものを見つけるものである。しばしジロジロと眺めていた私である。

どうみても現行品と同じタイプである。バッジの足裏には、「第○会選挙」と書かれているはずなので、見えればいつのものか特定できるのだが、うーむ、ガラスに遮られてよく見えない。
今の衆議院議員バッジは1949年に制定されたものだから、彼の初当選時のものではない。おそらく2回目以降の当選時のものということになる。
・・・などと、そんなどうしようもないことを考えるほど、ヒマで平和なゴールデンウイークだ。

結局、新緑の風に吹かれようと、美味い名物料理を食おうと、ここで展示されていたバッジ類が一番印象に残った私である(笑)。