徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

ナイジェリア 東ナイジェリア州知事・ドクター・オクパラのバッジ

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アフリカのバッジ(特に政治・運動系)というのは本来とても興味深いのだが、こちらに予備知識が少ないためにそのおもしろさを十分に理解し得ないでいるような気持ちにもなる。

本当は、とてももったいないことではないか。
なにせ、60~70年代に独立ラッシュを迎え、その後も今に至るまで、実に多くの国が多難な歩みを続けたアフリカのこと。その手のアイテムは少なくないのだが、正体不明のモノも多く、結局お手上げ・・・ということも少なくない。

今日のこのバッジは、かろうじて正体が分かったほうである。必要なことはだいたい書いてあるからだ。

1960年にイギリスから独立したナイジェリアは、連邦共和国としてスタートした。が、その中身は「ミニ・アフリカ」といわれるほど複雑な民族構成、地域格差が存在し、独立後も多難な道のりを進まざるを得なかったのである。
1966年にはクーデターにより軍事政権が打ち立てられ、1979年まで継続する。この間、ビアフラ分離独立戦争があったり、軍事政権打倒後も再クーデターがあったりと、政情不安は今も変わらないのであった。

このバッジは、第1期共和制時代(1960-1966)のモノ。
東部ナイジェリアの首相、ドクター・オクパラ(Michael Iheonukara Okpara)のバッジである。
この人の詳細は不明だが、生没は1920~1984年で、1960~1966年の第1期共和制時代に東部ナイジェリアの州知事を務めたそうなので、どんな人生を送ったかは知らないが、少なくとも度重なるクーデターでも粛正されずに済んだということになる。
バッジの肩書きには、「東ナイジェリア州知事」と並んで、「N.C.N.C(ナイジェリア国家評議会?)議長」ともある。

ひとつの国家、ひとつの運命、ひとつの憲法(ONE COUNTRY, ONE DESTINY, ONE CONSTITUTION)
というスローガンが、いかにも新生国家の雰囲気を漂わせる。
・・・のだけれど、その後のナイジェリアの歴史を見ていると、事態は全然そんなふうには進まなかったことがよく分かり、なんだか今となっては皮肉にしか見えないのでもあった。ふう・・・