徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 北京五輪・女子マラソンに登場した「北京名所バッジ」

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(国家博物館側から見た天安門広場。)

今日午前、北京オリンピックで女子マラソン競技が行われた。日本期待の前回金メダリスト野口選手は参加断念、残る土佐選手は途中棄権、仲村選手は完走するも結果はふるわず。
残念だが、でもまあ、オリンピックの楽しみってのは、自国選手の活躍だけじゃなく、いろんな選手のすごい技量を鑑賞し楽しむものじゃないかと思うけどね。

さて、そのマラソン競技だが、天安門広場からスタートして、国家競技場に至る道のりは、まるで北京市街観光コースで、ちょっとおもしろかった。北京の街の変わりぶりは本当に激しく、毎年のようにこの街を訪れていた私も、1年も経つと、あれ?こここんなんだったっけ?と思うこともしばしば。去年の冬は未完成だった前門も、すっかり綺麗になった姿がテレビに映し出されていた。

こーすは、天安門から南に向かって天壇公園、そこから北に向かって再び天安門長安街を西に向かって、民族文化宮を過ぎて北に進み、北京動物園北京大学・精華大学を経て、国家スタジアムに至るルートである。
さて、ではバッジ専門の当ブログらしく、それぞれの見所を、各種「記念バッジ」でご覧ください・・・。

中国では、見学の記念にバッジをくれることが結構あって、最近は減ってきている気もするが、以前は博物館やらなんやらで、いろいろもらったものである。そんなわけで、名所記念バッジというのはとても数が多いのだ。
オリンピック期間中は外国人の参観者も多いだろうなあ。

まずは天安門からスタート。このコースを設計した人は、天安門の前を走り抜けるマラソンランナーという画が、ぜひほしかったのだろうな。
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上海製の北京観光記念バッジ。天安門を描いたバッジというのは数限りなくあってキリがないのだが、とりあえずこれを紹介しておく。

天安門広場のほぼ中央にあるのが毛主席記念堂レーニン廟に似ていなくもない建物で、毛沢東の遺体が安置されている。
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バッジは、記念堂の建設記念バッジ。毛沢東死去からちょうど1年後の1977年9月に完成したのだが、その現場担当者に配られたモノである。

天安門から南に向かったランナーは、世界遺産にも登録されている天壇公園を通り過ぎた。天壇公園のシンボルは祈年殿という円形の建物。皇帝が豊作を祈願したところだ。
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バッジは、この祈念殿を描いたもので、「天壇遊覧祈念」とある。これも観光記念かおみやげバッジらしいが、銅製に七宝、なんだか必要以上に重厚なバッジであって、50年代から60年代初め頃の作と思われる。

コースは、天安門から長安街を進み、民族文化宮を通り過ぎたところで北に向かう。民族文化級は、50年代に建設された「スターリン建築」のひとつ。
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バッジの裏面には「民族文化宮落成記念 1959」とある。こちらもけっこう重厚なデキ。民族問題というのは生まれたての新中国にとって大変重要な問題であった。もっとも、その関連諸政策がうまくいったかどうかは現状を見れはだいたいわかるだろうが。

えーと、北京動物園北京大学のバッジもあったような気がするが、見つからないのでパス。

北進したランナーは、円明園頤和園の近くを通り過ぎて、東に折れ、スタジアムに向かう。
コースには直接含まれていなかったが、テレビ画像では紹介されていたのが頤和園
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こちらも世界遺産西太后の避暑地である広大な庭園である。巨大な昆明湖は人工湖であって、その土を盛り上げて作ったのが、高くそびえる万寿山という。こういうあきれるほどの大きさには、北京を訪れた人は次第に麻痺してしまう。私もそうだったけど。
70年代の一時期、おそらくは女性として権勢を極めた西太后を意識していたであろう四人組の江青がここを別荘としており、一般人は立ち入ることはできなかったが、その後公園として一般に開放された。
バッジは見学記念品で「頤和園記念」とあり、シンボルの建物である仏香閣が描かれている。

・・・というわけで、北京はなかなか観光名所が多いところなのだが、今回のオリンピック競技会場「鳥の巣」や「水立方」も名所になるんだろうなあ。
個人的には、どうにも好きになれないんよなあ、あのデザイン。

というわけで、後半のオリンピックも、なんだかんだといいつつ観戦を楽しんでます。