徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 国民栄誉賞の盾

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造幣局サイトにある「国民栄誉賞の盾」)

オリンピック期間中は、すっかりオリンピックネタばかりとなってしまった当ブログだが、世間ではまだオリンピックの余熱がくすぶっているようである。

北京オリンピックが幕を閉じてしばらくして、国民栄誉賞を巡っての報道が流れた。ああまた始まったか・・・と思ってしまった。
マスコミの語るところでは、2冠2連覇を遂げた水泳の北島康介が候補に挙がっているらしいが、それよりもソフトボールの上野投手がふさわしい、なんて声も上がっているようで、まあなんとも平和な議論である。
福田首相の性格からいって、今回はパスする可能性がたかそうな気もするのだがどうだろう。

毎回、この国民栄誉賞については議論が絶えない
特に、「受賞対象が明確でない」という批判には、どうひいき目に考えても、有効な反論ができないのである。

創設は、1977年、現福田首相の父、福田赳夫首相時代である。
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」ということになっている。ところがこの規定が難しい。

「社会に明るい希望を与えることに顕著な業績」、「前人未踏の業績」があるという要件、これが毎度毎度、物議を醸す。
そもそもの創設時の経緯や、その後の運用を見ても、「首相の人気取りのための賞」という揶揄と批判が常につきまとっているという、受賞者にとってもなんだか微妙な栄典となっている。
正直言って、この制度を維持する以上、この批判と疑問は永遠にやまない、と見るべきだろう。

創設から30年が経過したが、受賞者はこれまでに15人いる。
まず、創設時点での初受賞者は、ホームラン世界記録を打ち立てた野球選手、王貞治。まあこれは王の国民的人気や記録のインパクからして、受賞者に異を唱える世論はなかったろう。
だが、この最初のケースが、その後の運営を難しくしたといえそうなのだ。

15人中、スポーツ選手は5人。この場合は何らかの記録を打ち立てた後に受賞するケースが多い。相撲連勝記録の千代の富士、オリンピックで金メダルを取った柔道の山下や、マラソン高橋尚子などだ。

ところが、文化受賞者となると一転、なぜか死後受賞となる(行方不明の状態で受賞した冒険家の上村直樹は除く)。古賀政男長谷川一夫美空ひばり藤山一郎長谷川町子服部良一渥美清吉田正黒澤明の9名は、全員死後受賞だ。

「前人未踏の業績」といいながら、同ジャンルの場合、作曲家3名(古賀、服部、吉田)、歌手2名(美空、藤山)、俳優2名(長谷川、渥美)の場合、後で受賞した者は、以前受賞した者より卓越していたということになるのかと、素朴な疑問がわく。
「作曲家でいえば、古賀政男より服部良一は優れており、その2名よりもさらに吉田正が優れていたのか」、という疑問も呈されるのである。無論、そんな比較はできない。そもそも私はこの世代の活躍をよく知らず、生前の人気のほども実は知らないからである。
だいたいからして、なぜ生前でなく死後受賞なのかというのもナゾである。

シドニーオリンピックの女子マラソンで優勝した高橋尚子は、人気低迷にあえぐ森喜朗首相からこの賞を与えられたが、なぜか、他のメダリスト、特に柔道で金メダルを取った田村亮子や、さらにすごい3連覇を成し遂げた野村忠広には、与えられなかった。

まあ、このいい加減さというか、そもそも存在意義があるのかないのかわからない、というこの賞に、目くじら立てて批判するのもちょっと大人げない気もする。考えてみればそれなりに味わい深さもあるような。

どうでもいいが、国民栄誉賞で贈られるのはメダル(牌)でもカップ(杯)でもない。どういう理由によるものか、画像のようなが贈られるのである。
ちなみに、これも造幣局製作。鳳凰に唐草模様が囲み、五七の桐が描かれている。

ここはひとつ、退潮著しいわが国の徽章文化発展のために、ぜひとも賞牌(メダル)を授与するように改正せよ・・・というのが、この徽章文化研の主張である。