徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 関東大震災10周年記念メダル(1933年)

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今日9月1日は防災の日
今から85年前の1923年9月1日、関東地方を襲った地震は、死者行方不明者14万人を超えるすさまじい被害をもたらした。同時に多数の朝鮮人社会主義者に対する虐殺事件なども発生し、ただの自然災害を超えて、当時の日本が抱えていた暗部をさらけ出す大事件となった。

余談だが、私の曾祖母はこの地震の体験者であった。彼女が語る地震への備えは、食料や水や貴重品についてでもなんでもなく、
「逃げるときには足になにかを履け」
というものであった。足を怪我すると逃げられなくなる。逃げられなくなれば、自分のみならず、家族まで危険に巻き込むおそれがある・・・ということが言いたかったのだと思っている。
「靴下だけでもいいから履かなきゃダメ」
と力説する姿は、さすがに体験者だけあってかなりの説得力があった。そして、実際に寝るときには枕元に足袋をおいてねていたものだ。

さて、そんなことを思い出す私だが、今日は震災10周年記念メダルを紹介しよう。ということは、1933年、昭和8年製作の品である。
関東大震災十周年記念」と書いてある下には、よくわからない女神が大ナマズに腰掛けている。女神と大ナマズの描き方がちょっといいかげんぽくて味わい深い。よく見ると女神が手にしているのは東京都マーク。
裏面は、「緩む心の捻(ねじ)を捲け」のスローガン。さて、では中央に描かれている寺院風の建物はなにかおわかりだろうか。

これが、わが国近代建築史に名を刻む伊藤忠太が設計した震災記念堂である(1930年完成)。身元不明の被災者の遺骨を納めたもので、墨田区横網町公園に、今も堂々たる姿を見ることができる。のちに、東京大空襲などの戦災による遺骨も納めて、今は東京都慰霊堂となっている。
この墨田区横網町には当時、陸軍被服廠跡地となっていたことから多くの被災者が詰めかけていたところに、火災が巻き起こり、ここだけで4万人近い焼死者を出したというから恐ろしい。まさに、死屍累々の地獄絵図であったろう。

東京都復興記念館も併設されているが、内部はまだ見学したことがない。ぜひ一度行ってみたいものである。

なお、以前紹介した財団法人東京震災記念事業協会特効章もあわせてどうぞ。