昨日5月7日は、日中関係において歴史的意味を持つ記念日なのだが、日本人にはほとんど意識されていない。
もっとも、日中関係の記念日で、中国側は意識しているけど日本側は全然・・・という日はほかにもいろいろあるような気がする。7月7日の盧溝橋事件、9月18日の満州事変、12月13日の南京陥落なども、仮に知識としては知っていても、この日を特別な感慨を持って迎える日本人はほとんどいないのだろう。少なくともその思い入れは、12月8日の真珠湾攻撃・日米開戦や8月15日の終戦記念日には遙かに及ばないに違いない。
まあ考えてみれば、イギリス人だってアヘン戦争に中国人ほど深い思い入れをもっているとはとても信じられず、きっと「そういや、そういうのもあったかなあ」程度じゃないかという気もするので、歴史認識なんてそんなものだというよりほかない。
一方の中国という国は、これら帝国主義への反発と克服が建国の土台になっており、現在の日中間のすれ違いや摩擦は、こういう意識の違いから来ていると思うのだが、その解消はお互いがよって立つ基盤がそもそも違うので相当困難である。
せめて歴史の事実に、良い悪いの価値判断はさておいて、関心を持つようになれればと思うが、興味のない人に興味をもっと持ちましょうと言ったところで、これまた効果などないのは火を見るより明らかなのであった。どうしたもんかね。
まあ考えてみれば、イギリス人だってアヘン戦争に中国人ほど深い思い入れをもっているとはとても信じられず、きっと「そういや、そういうのもあったかなあ」程度じゃないかという気もするので、歴史認識なんてそんなものだというよりほかない。
一方の中国という国は、これら帝国主義への反発と克服が建国の土台になっており、現在の日中間のすれ違いや摩擦は、こういう意識の違いから来ていると思うのだが、その解消はお互いがよって立つ基盤がそもそも違うので相当困難である。
せめて歴史の事実に、良い悪いの価値判断はさておいて、関心を持つようになれればと思うが、興味のない人に興味をもっと持ちましょうと言ったところで、これまた効果などないのは火を見るより明らかなのであった。どうしたもんかね。
で、5月7日だが、1915年、日本が中国に「対華21か条要求」の最後通牒を突きつけた日として、「国恥記念日」となった日である。中国国内では大衆的な反対運動が起こるが、袁世凱政権は基本的にこれを呑むこととなる。そして、この国恥記念日を前に、1919年に5月4日には北京で大規模な学生デモが勃発する。いわゆる五四運動である。この運動は、全国に拡大していき、日本への抵抗として、大衆の間で日貨排斥運動が広まる。