徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 武漢記念章(辛亥革命)

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昨日は中国のもうひとつの国慶節、「双十節」だったので、今日はそれに因んだ一枚を。

1911年10月10日、武昌(武漢市)で革命派軍人による反満武装決起が勃発、「武昌起義」である。
これが後に各地に飛び火して、ついには満州族支配体制を覆したのみならず、帝政という古代から続く政治体制も消滅させるにいたる。

ところで、今日の一枚は、辛亥革命を記念して作成された「武漢記念章」なのだが、そこに描かれているのは、後に2回大総統に選出されることになった黎元洪(れい・げんこう)である。
中華民国の陸軍旗「十八星旗」をかたどった九角星の中に、描かれているのがその黎元洪だ。ちょっとぽっちゃりとした輪郭、眠そうに見える目など、よく特徴を捉えている。肖像の上には、筆記体アルファベットで「Li Yuen Hung」と書かれている。裏面には「武漢記念章」とある。
本当な金メッキが施されていて、けっこうハデな印象を与えるメダルなのだが、残念ながらメッキは痕跡しか残っていない。
実は、このメダルの英語表記に違和感を覚えていた私だが、どうやら中国製でないらしいことが分かってきた。イギリス製と見られる。

黎元洪自身は革命派というよりむしろその反対側の人物だったのが、何が起こるか分からないものである。突如勃発した暴動が成功するや、革命派は起義の看板となる人物がいないことに当惑し、逃げ遅れて隠れていた黎元洪を捕まえるや、なんと彼をリーダーに据えてしまったのだ。
これがキッカケで、黎元洪はすっかり革命派に転じ、袁世凱のあと、第二代大総統に就任することになる。さらに、第五代大総統としても返り咲くのである。

何だか調子いいなあ、と呆れる気もしなくもないが、黎元洪の人物像は決して悪くなかったようである。部下からの信頼もあり、思想信条よりもそれが優先されたのだろう。
人生、何がどうなるか分からぬものだ・・・と、この男を見ているとつくづく思う。