徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 (文革期)上海民兵章

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中国文化大革命で、悪名高い「四人組」。中国語では「四人帮」、英語では「Gang of Four」という呼称がついていて身もフタもない。

彼らはみな「上海組」でもある。特に、上海の工場労働者から党副主席まで登りつめた王洪文を筆頭に、上海に基盤を持っていた。だから、文革後に展開された四人組批判にはどこか、「上海の奴らが・・・」というニュアンスがにじんでいるようにも感じる。国土が広く地方性の強い中国では、各地域間でのライバル心や軋轢も複雑に絡み合っているのだ。

画像は、文革期に作られた上海民兵の胸章。裏面には、かすれていて読みにくいが、
○○工場民兵連 姓名:○○○ 職別:戦士
の文字が記されている。職別(職業欄)に、「戦士」と記入するあたりがいかにも文革時代だ。
赤枠に明朝体で「上海民兵」と大きく記してある点など、かつての人民解放軍の胸章をソックリ模しているところが興味深い。ビニールのケースに入れ、耐久性を向上しているところはオリジナルか。

上海は、既存の行政組織を打倒して、文革派が掌握する革命委員会が最も早く成立した都市で、ここから奪権闘争の火の手が上がったといってよい。上海民兵は、文革派の強力な武器として活躍したのである。
四人組は、毛沢東の死後、権力の中枢を一気に握ろうと上海民兵による武装化をさらにすすめるも、反四人組派(反文革派とまではちょっと言いづらい)が四人組の逮捕に踏み切り、文革は本格的終焉を迎えることになった。

上海民兵組織はとにかく大きいので、この胸章はどの民兵組織のモノよりも頻繁に目にする。四人組が打倒された後は四人組の支持組織として、多くの幹部には厳しい処分が下ることになる。天下取りから国家反逆罪まで、あまりにも転変が激しい。

2005年12月、四人組最期の生き残りの姚文元が死去。減刑により出所した後は、上海の一市民として改革開放の世の中をひっそり生きていた。
姚文元死去を伝える小さな新聞記事を見つけたとき、私は何ともいえない感慨をおぼえたものだ。ああ、ついに全員がこの世からいなくなったのかと。