徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

ソ連 「宮城与徳の勲章、45年ぶりロシアで発見」に疑義あり!

このニュース、各紙で取り上げられていたので、見た人も多いと思う。
私も職場でたまたま目にし(読売新聞)、へえと思っていたのである。

宮城与徳は、名護市出身の画家で共産党員。ゾルゲ事件連座して尾崎秀実とともに逮捕され、1943年に獄死した。
反ナチズム戦争に功績あり、ということで、1965年旧ソ連政府は勲章の授与を決定した。遺族が2000年からその勲章を探していたところ、昨年ロシア大統領府の保管庫で見つかり、このたび遺族に渡された、という記事である。
その勲章とは、2級祖国戦争勲章。この勲章、大変にポピュラーな勲章なのだが、よく見ると実にソ連らしいデザインでなかなか名作だと思う。
遺族は宮城の墓前に報告、最終的には勲章を出身地の名護市博物館に寄贈するということであった。まあめでたしめでたし・・・というお話だ。

ところが。
この勲章、どうもおかしいんじゃないか・・・と知人からメールがあったのはその日の夜。
いやあ、見ている人は見ているものである。よくこの小さな画像で気がついたものだと舌を巻いている。

イメージ 1

(大使から遺族に手渡される「発見」された勲章)

イメージ 2

(記事に掲載された、問題の勲章)

以下、知人からの情報。
・・・
この勲章には、多くのバージョンがあるが、1985年製のものは、大きな特徴がある
1985年版は一体成型で、そのため中央の槌鎌マーク部分の周囲が平滑にならず、しわが寄ったようになる。
対して、その以前の版では、槌鎌の部分が14金の別パーツとなっており、裏面で2か所リベット留めされている。裏面を見れば明らかで、2つのリベット跡があるが、表面だけでも判断ができる。
さて、今回の勲章は・・・槌鎌の周囲に「しわ」が寄っているのが、わずかだが、七宝のテカリではっきり分かる


もうひとつのポイントは、この白い紙箱。これも1985年版の特徴だ。
1985年、ソ連では600万個もこの勲章を製造したのである。したがって、以前のタイプに比べると、形こそ同じだがなにかとチープなのである。

イメージ 3

(参考。1967年製の同勲章。中央部の平滑な感じがよく分かる)
・・・

というわけで、今回発見された勲章は、1965年に授与されたものであるはずがない。これは1985年タイプだからである。

そうなると話はちょっと込み入ってくる。1965年の授与決定後、ソ連政府は遺族が見つからなかったので同政府が保管したままになっていたと記事(沖縄タイムス)にあった。

どういうだろうか。可能性はいくつか考えられる。
・ロシア側の説明を、日本側が誤解した。
例えば、「当時の授与決定の書類が確認された。決定に従い改めて授与する」→「当時の勲章を発見した」
・ロシア側が、日ロ友好ムードを高めるために、深く考えもせずその辺にある安物で、美談をでっちあげた

うーん、私もこんなことを追求しても仕方ないような気にもなる。
バージョンの違いこそあれ、同クラスの同勲章に、名誉に差はない(はず)。授与された1965年と新バージョン発行の1985年の20年の差に、どれだけの意味があるというのか。
21世紀の今、歴史に埋もれた日ロ間のきずなが認識され、遺族は名誉回復を喜ぶ。発見が事実ではなかろうと、傷つく人も損する人もいないのだ。
それでいいではないか、と。

だけどこれどうなのよ、という気もやっぱりしてしまう。1985年のとそれ以前のでは、同じ祖国戦争勲章でも、コレクター価値は全然ちがうのだ。ヘタすると10倍は相場が違うだろう。希少性や歴史価値は、全く別物といっていい。
コレクターにとってこのバージョンの価値の違いというのは、あまりに常識である。その差に、目をつぶることができるか?ええ!?

もうひとつ。今回の発見が、ロシア側のでっち上げだったと仮定して、の話だ。
なんで今になってロシアはこんなブツを取り出してきたのだ?という疑問がわく。民主党政権になった日本と、友好的ムードを演出するネタにしたかったのだろうか。
しかし、もし今回の発見が、そこまで考えて「でっちあげ」たしたら、もう少しちゃんとやればいい気もする。それならどこからか60年代製の祖国戦争勲章を調達してくれば済む話だ。
そんなこともせず、時代の合わない新物をそのままあっさり渡してしまうあたりの素直さはなんなのだろう

そう考えてくると、欺瞞と呼ぶにはあまりにお粗末すぎ素直すぎて、非難する気はいつしか失せてきた。
あちらの意図は全く分からないが、おそらくロシア当局なりの善意なのではないか・・・ということにしておこう。
これ以上は考えてもしょうがない。

先にも書いたが、この勲章は名護市博物館に寄贈されるそうである。沖縄に行く機会があったら、ぜひ見たいものだ。我々が生きている今もまた、歴史の一瞬間なのだ、という実感がわくかも知れない。