徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

台湾 中国青年反共救国団の胸章(1955年)

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日中戦争時代、中国青年の政治的組織として成立した「三民主義青年団」。この組織の指導者として頭角を現していったのが蒋介石の長男、蒋経国であった。この組織は中国国民党の青年組織として組み込まれていくのだが、中国共産党共産主義青年団ソ連のコムソモール)に対応する組織と言えよう。

1949年、内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党は、「大陸反攻、反共復国」をスローガンに、1952年、新たな政治的な青年組織を組織した。これが「中国青年反共救国団」というすごい名をもつ組織である。初代の主任には蒋経国が就任した。

画像の胸章は、その団員章である。布製で、3本の横線は「三民主義青年団」の流れをくむ。中華民国44年、すなわち西暦1955年。中国青年反共救国団の比較的初期のものである。
朝鮮戦争終結したのが1953年だから、当時はまだまだ台湾海峡を挟んで、2つの中国が厳しく対立していた頃のものである。

もとの所有者は、「劉玉堅」なる人物。
四十四年度青年先鋒営第二営 学院大隊 第八中隊第二区隊第 分隊
とある。「学院大隊」という呼称から、学生の組織であったことが想像される。

ツクリは、2枚の木綿地の間に、補強用に紙が挟み込まれているようだ。本来、服に縫いつけて使うものだろうが、使用された痕跡は見えない。
黄色の枠に、緑、赤、青、それと地色の白を使ったシンボルが刷られていて、ちょっとカラフルな印象を与える胸章である。

台湾では、やがて経済成長が進む中で「大陸反攻」は忘れ去られ、中国青年反共救国団の性格も政治的色がどんどん薄れていき、ついに2000年、「中国青年救国団」と改称された。
逆に言えば、つい10年前まで、組織名に「反共」の文字が残っていたわけで、これもスゴイ話だ。