徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 上士別村大正8年凱旋記念バッジ

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おやキレイだなと目を惹かれたこのバッジ。鮮やかな青とピンクで描かれた桜の花が美しい。デザインよりも、七宝の美しさが魅力の一枚だ。

バッジの裏面を見てみると、「大正八年凱旋記念 上士別村」とある。
大正8年といえば、1919年。凱旋記念とは、ハテなんのことだろう。いろいろ調べながら考えたが、1918年に始まったシベリア出兵絡みのものじゃないかと想像している。

ロシア革命による内戦、第1次世界大戦における連合国側の戦略、そして日本の領土的野心と権益保護など、様々な思惑が入り交じって、日本は7万もの兵を派遣。連合国中最後まで居残るが、ついに1922年撤退を開始。結局は何も得るところもないまま終わった。
終わってみれば、大義もなければ収穫もない国費の無駄使いに過ぎなかった。しかし、まだまだこの時代の国際情勢は、帝国主義の原理がバリバリに働いていたことを考えさせられる。

シベリア出兵には、北海道の屯田兵を母体とする第七師団が派遣されていることからも、可能性は高いと思われる。上士別村(現、士別市)の壮丁も、この出兵に参加したのであろう。
おもしろいのは、このバッジは共箱つきなのだが、安藤七宝店の製品であることが分かる。裏面のツクリや七宝仕上げなどからしてもまず間違いないと思われる。
当時安藤七宝店は東京や名古屋に店を構えており(もとは尾張七宝が発祥の店である)、海外への輸出も盛んに行っていた。またバッジ製作も手がけており、私にとってもなじみのメーカーである。

北海道の農村が、凱旋兵士に記念品を贈るのに、はるばる東京の店に注文を出したわけである。
大都市から遠く離れた地方では、地方の中心都市にあるメーカーに製作させることも多いが、九州や東北のバッジでも製作は東京のメーカーなどという例はしばしば見られる。