徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 帝国飛行協会第1回飛行大会紀念章

イメージ 1

現在の日本航空協会の前身は、大正2年に発足した帝国飛行協会である。帝国飛行協会関係のバッジや記念品はたまに見かけることができ、しかも会員バッジをはじめなかなかデキがよく、私もチェックするようにしている。

今日の一枚は、裏面に「帝国飛行協会第1回飛行大会」の文字がある記念章である。
一見して目を惹かれるほど非常に七宝が美しい。白と水色のコントラストが、清楚な印象を与える。材質は銀製。なぜか上についている金色の小環だけは、「K18」の刻印入り、つまり18金製である。飛行協会のシンボルであるエンジンとプロペラをデザイン化し、月桂冠?の飾りと、「記念」の文字が入っている。珍しいモノなのではないかと思っている。
オリジナルのケースがついていて、蓋裏に「K.HATTORI ART JEWELLER GINZA TOKYO」の文字が見える。つまり服部時計店である。

当然、この「飛行大会」というのがいつの時代のどんな大会であったか知りたいところなのだが、これがよくわからない。飛行協会小史やその他資料をみていると、「第1回飛行大会」だけでは特定困難なのだ。該当しそうな「大会」を列挙すると、
大正3年(1914年)、民間飛行競技会(兵庫鳴尾競馬場)
大正8年(1919年)、東京~大阪懸賞郵便飛行大会
大正9年1920年)、第1回民間懸賞飛行大会(東京州崎)

・・・他にもあるかもしれない。
というわけで、記念章を作るならせめて年号でも入れておいて欲しいなあ・・・とつくづく思う私である。
それにしても、いろいろ検索して調べながらこのブログを書いているのだが、これら大会に名を刻んできたわが国航空史初期のパイロットたちが、ことごとく航空事故で世を去っているのには驚く。当然、みな2,30代の青年たちである。

このメダルを手にしたのは、大会に参加したパイロット自身か、それともその他の関係者だったのか。パイロットだったとしたら、飛行機野郎にふさわしく、大空に散ったのだろうか。・・・などと想像してしまう。

【既出の関連項目】
帝国飛行協会正会員章