揺れは長く続き、その後もたびたび余震が襲い、幸い発生時には職場事務所内にいたのだが、さすがに少し恐怖を覚えた。あまりに揺れるので、目まいのような不快感を感じた。
まず、家族の安全を確認し、仕事への対応をした私がその次に思ったのが実はコレクションのことであった。
コレクションの中心をなすバッジ類は、地震ではまず大丈夫なはず。しかし、その他にも陶器類やガラス製品などもあるのだ。棚などから落下すれば無事では済まない。
家に帰って確認すると、本棚から少し本が落ちた程度でコレクション関係は無傷。
まず、家族の安全を確認し、仕事への対応をした私がその次に思ったのが実はコレクションのことであった。
コレクションの中心をなすバッジ類は、地震ではまず大丈夫なはず。しかし、その他にも陶器類やガラス製品などもあるのだ。棚などから落下すれば無事では済まない。
家に帰って確認すると、本棚から少し本が落ちた程度でコレクション関係は無傷。
しかし、東北の被災地ではどうだろう。まだ人命救助と拡大し続ける被害を食い止めるための戦いが終わっていない今、考える余地すらないが、きっと文化財関係の被害も甚大だろう。そして、自慢のコレクションを破損した人も大勢いるはずだと思う。神戸の震災でもそうだったように、特に陶器類のコレクションは、相当の被害を受けただろう。
今日は震災関係の記念章を紹介する。
昭和5年に頒布された「帝都復興記念章」である。現物を持っていないので、画像は賞勲局の資料である。大正12年9月1日に発生した関東大震災。その7年後、復興事業の完成を記念して作られたメダルである。製造数は35,000個、授与対象者は復興事業にたずさわった関係者である。
デザインを見てみよう。
帝都復興記念章令第二条によると、
「表面ニハ輪郭内上部ニ菊御紋、中央ニ市街ト旭光ノ図、下部ニ桜ノ模様ヲ表シ」
「裏面ニハ輪郭内中央ニ帝都復興記念章ノ文字、下部ニ昭和五年三月ノ文字ヲ識ス」
となっている。
復興なった新しい町並みに朝日が射し込む図だったのだなこれ。
昭和5年に頒布された「帝都復興記念章」である。現物を持っていないので、画像は賞勲局の資料である。大正12年9月1日に発生した関東大震災。その7年後、復興事業の完成を記念して作られたメダルである。製造数は35,000個、授与対象者は復興事業にたずさわった関係者である。
デザインを見てみよう。
帝都復興記念章令第二条によると、
「表面ニハ輪郭内上部ニ菊御紋、中央ニ市街ト旭光ノ図、下部ニ桜ノ模様ヲ表シ」
「裏面ニハ輪郭内中央ニ帝都復興記念章ノ文字、下部ニ昭和五年三月ノ文字ヲ識ス」
となっている。
復興なった新しい町並みに朝日が射し込む図だったのだなこれ。
例によってと言うべきか、この種のメダルらしく実に面白味に欠けるデザインではあるが、今改めて見ると、関東大震災が日本の歴史に残した衝撃を想起させるメダルではある。