徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 山本五十六の「軍人傷痍記章」

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新潟の長岡市に、山本五十六の記念館がある。この地を立ち寄ったとき、この記念館の存在を偶然知り、これはと思って見学してきた。ささやかな記念館で、ざっと見るだけなら10分もあれば足りる。
この中に、山本五十六が受章した軍人傷痍記章が展示されていたので紹介しよう。

桐箱裏に、「昭和十三年九月三十日下附 海軍次官 山本五十六」と書かれている。本人の筆跡であろうか。

山本五十六は、日露戦争の天王山ともいうべき日本海海戦装甲巡洋艦「日進」に乗り参戦、この時敵砲弾により左手人差し指と中指を失ったという。そして昭和13年、軍人傷痍記章令改正に伴い、授与されたのが展示されている記章であるらしい。
記念館の説明書きによれば、「昭和13年9月、政府は海軍次官山本五十六傷痍軍人記章の第1号を贈った。これを一番喜んだのは、山本自身だった。どの勲章よりも大切にし、日本海海戦で受けた傷による障害を乗り越えてきた誇りを素直にあらわしていた。

この軍人傷痍記章、数は相当出ているらしく珍しいモノではないが、買うとなるとけっこうするので実は私は持っていない。厳密には甲乙の2種類があって、甲種は「戦傷」、乙種は「公傷」と裏面に文字がある。甲は金色で乙は銀色という違いもあるのだが、変色して金色何だか銀色何だかよくわからないことも多いので、裏面を確認する必要がある。

さて、戦傷と公傷がどう違うのか、どの程度の傷を負えばこのバッジがもらえるのか気になるところ。
もちろんきちんと決まっている。
甲種軍人傷痍記章ハ戦闘又ハ戦闘ニ準ズベキ公務ノ為、乙種軍人傷痍記章ハ普通公務ノ為傷痍ヲ受ケ又ハ疾病ニ罹リタル者ニコレヲ授与ス」。戦闘で負傷した方が、より高い価値が認められ、同じ傷病でも歴然とした差があるのである。
画像ではよくわからないが、山本五十六の記章は、当然「甲種」であるはずである。

では、負傷の程度はどのくらい必要なのか。「恩給法施行令」に定められた症状が対象となっていて、24条を見てみると、症状は重度から軽度まで8段階に分けられている。
もっとも重いのが、「特別項症」で「常ニ就床ヲ要シ且複雑ナル介護ヲ要スルモノ」「重大ナル精神障害・・・」「両眼ノ視力ガ明暗ヲ辨別シ得ザルモノ」となっていて、相当深刻。

もっとも軽い「第七項症」で、やっと「一側示指乃至小指ヲ全ク失ヒタルモノ」という程度になる。
左手指2本を失った山本五十六のケースは、この「第七項症」に該当したのであろう。これでも一番軽いクラスなのだから、この記章をもらうだけでも、相当大変な重傷を負う必要があったのだ。手足の骨を折ったくらいでは話にならないのである。そう思えば、このバッジの重みもわかろうというもの。流血と苦痛が結晶となったバッジなのだ。

ちなみに、山本五十六記念館では、この他には勲章類などを見ることはできない。あのクラスの軍人なら、国内外から贈られた勲章がいろいろあるだろうに・・・と思わざるを得なかった。ちょっと残念。