徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 オウム真理教「プルシャ」バッジ

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あれほど世間を騒がせ、あらゆるメディアで報道されまくったオウム真理教による事件も、さすがに忘れられてきた。全国の交番に置かれていたオウム指名手配犯の顔写真入り全身像も、目にするたび「あれいつまで置いておくのかなあ」という感じで見ていた。「もう生きていないのではないか」とも思っていた。
それが、昨年末来の半年で、立て続けに平田、菊地、高橋容疑者が逮捕。結局全員生きて社会に潜伏していたのだということに驚いた。年月は風貌も変え、手配当時の写真と並べても本人とはわからないくらいになっていた。こうなると指名手配写真も考えものだな・・・。

さて、オウム事件の発端とも言える坂本弁護士一家殺害事件(1988年)では、犯行現場に教団幹部がつけていた教団バッジ「プルシャ」が残されていた。実行犯である中川智正のものであった。この事件が早くからオウムの仕業であることが判明していれば、後のサリン事件はなかったはずであった。

ところで、私は遺留品である「プルシャ」なるバッジがどんなモノであったか気になったのだが、どうもハッキリした画像などは見たことがない。どうもオウム真理教の紋章を描いたものらしく、とすると画像のような形のバッジであったろうか。

1995年3月、国松警察庁長官狙撃事件が発生した。犯人を特定できないまま、2010年に時効を迎えた事件だ。オウム真理教の関与が早くから指摘されていたが、この事件では狙撃現場に北朝鮮の硬貨と朝鮮人民軍のバッジが残されていた。
まあこの狙撃事件の真相も結局よくわからないのだが、遺留品としてバッジを使ったのは、オウムが北朝鮮犯行に見せかけるため、坂本弁護士事件から思いついた手法だったのではないかと私は感じていたものである。

関係者の逮捕が終わり、いよいよ裁判だが、一体いつになったら真相が解明するのやら・・・。