徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 「日中人民団結」バッジ(1968年)

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もともとの事件自体はしょうもないのに、世界の主要国に名を連ねる2つの国の政府・国民まで騒動に巻き込んだ尖閣諸島漁船衝突事件。事態の沈静化を優先した日本と、これを政治的に利用しようとした中国。国内情報のコントロールに長け、事態利用の戦略で先手を打つ中国に対し、日本は防戦一方の展開となった・・・といっていいよね?
今週、日本では海保職員による映像流出事件というオマケまでついて、ますます収拾がつかない様相を呈している。

おかげで、近年ただでさえよくなかった日中関係はまた急速に悪化。まあ領土問題って、どちらも譲歩した方が負けなので、互いに突っ張りあい、しばしば行くところまで行ってしまうという事態が世界各地で起こっているわけだ。

さて、こんな状況では、「日中友好」なんて言葉の出る幕がないが、かつて日本ではこの言葉がキマリ言葉のように使われていた時代もあったのだ。
それどころか、中国の文化大革命の時代にあっては、「友好」どころか、日中両国人民の「戦闘的団結」「戦闘的友誼」とまで言われたのであった。

今日のバッジもそのひとつ。
日中両国人民の戦闘的団結強化万歳 1968.8 山口県職員組合」。
このバッジは実は中国からの里帰り品。私が北京から持ち帰ったモノで、ということはこのバッジは山口県職員組合が訪中した際に記念として置いていったモノなのだろう。
1968年8月といえば、まだまだ文革バリバリの頃。精華大学の百日戦争など、紅衛兵組織同士の抗争が激化し、林彪も党副主席として活躍していたときのことである。当時の訪中団は、文革の熱気を肌で感じたであろう。

山口といえば、日本共産党左派の牙城でもある。山口県の教職員組合もその影響下にあったのだろうかとちょっと気になる。