チベットでダライ・ラマに次ぐ宗教的権威を持つのがパンチェン・ラマである。1959年、ダライ・ラマ14世は中国共産党支配に抵抗してインドへ脱出、亡命政府を樹立する一方、パンチェン・ラマ10世はチベットに留まる道を選んだ。
ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、協力関係にあるかに見えて実はそうでもなく、清末の混乱期においてもダライ・ラマ13世とパンチェン・ラマ9世は英露などの帝国主義国を頼るか、中国を頼るかで対立を起こしている。この時も、パンチェン・ラマ9世はどちらかといえば親中派の立場であった・・・ということになるであろう。
ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、協力関係にあるかに見えて実はそうでもなく、清末の混乱期においてもダライ・ラマ13世とパンチェン・ラマ9世は英露などの帝国主義国を頼るか、中国を頼るかで対立を起こしている。この時も、パンチェン・ラマ9世はどちらかといえば親中派の立場であった・・・ということになるであろう。
さて、今日の一枚は、そんな激動の時代を生きたパンチェン・ラマ9世のバッジである。なかなかレアなものと思われるがどうだろう。
「班禅大師尊像紀念章 栄増堪布処敬造」とある。「班禅」とは、パンチェンの漢字表記であり、要は「パンチェン・ラマ記念バッジ」である。「栄増堪布処」というのがよくわからないのだが、「堪布」が僧官の役職名らしいので、「栄増」は地名か。まあどこかの地方機関が作ったバッジということでよいだろうか。
裏面には3桁のシリアルナンバーが刻印されている。
「班禅大師尊像紀念章 栄増堪布処敬造」とある。「班禅」とは、パンチェンの漢字表記であり、要は「パンチェン・ラマ記念バッジ」である。「栄増堪布処」というのがよくわからないのだが、「堪布」が僧官の役職名らしいので、「栄増」は地名か。まあどこかの地方機関が作ったバッジということでよいだろうか。
裏面には3桁のシリアルナンバーが刻印されている。
バッジの頂点に描かれているのは、中華民国の青天白日章かと思ったが、それだと地の色が青でなければならず、黄色はおかしい。下部に三日月が描かれているので、単に日と月のシルシと考えるべきであろう。
パンチェン・ラマ9世は、1888年に即位、のちダライ・ラマ13世との政治対立に破れ、1923年に中央チベットを脱出。結局帰還することなく、1937年、現在の青海省で死去。
するとこのバッジは、中央チベット脱出前のモノか後のモノかということになる。「栄増」という地名?がわかれば、答えはわかるだろうか?
パンチェン・ラマ9世は、1888年に即位、のちダライ・ラマ13世との政治対立に破れ、1923年に中央チベットを脱出。結局帰還することなく、1937年、現在の青海省で死去。
するとこのバッジは、中央チベット脱出前のモノか後のモノかということになる。「栄増」という地名?がわかれば、答えはわかるだろうか?
9世の肖像は、代表的なモノらしく、これを含めて2種類がよく知られている。