「3.1ビキニ・デー」のニュースを見て、このバッジを思い出した。
1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行った日から、59年。海域でマグロ漁を行っていた第五福竜丸が核の灰を浴び、23人の乗組員は全員被曝したという事件であった。広島、長崎に次ぐ、第3の核兵器による被害となったのである。この事件で、日本は核の恐怖を改めて認識することになった。
実際には、他にも被曝したマグロ漁船は複数あり、放射性物質で汚染されたマグロは「原子マグロ」と呼ばれて風評被害も発生した。
実際には、他にも被曝したマグロ漁船は複数あり、放射性物質で汚染されたマグロは「原子マグロ」と呼ばれて風評被害も発生した。
さて、その後の第五福竜丸は、隔離検査と除洗が行われた後、東京水産大学の練習船となり、1967年に老朽化により廃船。夢の島に放置されていたところを発見され、保存運動が起きる。現在も夢の島公園で展示されているので見たことのある人も多いだろう。
展示施設はあまり広くなく、ほとんど船にピッタリなので、あんまり全体像を見渡すことができなかったような記憶がある。
展示施設はあまり広くなく、ほとんど船にピッタリなので、あんまり全体像を見渡すことができなかったような記憶がある。
展示館の公式サイトによると、開館は昭和51年6月10日となっているので、廃船から10年近くたっての開館ということになる。
埋め立て地に捨てられていた第五福竜丸の件は、1968年3月に「赤旗」紙上で取り上げられたのが契機となって、保存運動が起こったそうである。となると、このバッジは1960年代の末頃のモノか。
バッジには、「ビキニの証人 第五福竜丸の保存を」とある。
左上に見えるマークは、原水禁世界大会のマークのようだ。とすると原水禁大会などのイベントでで配付されたのであろう。
埋め立て地に捨てられていた第五福竜丸の件は、1968年3月に「赤旗」紙上で取り上げられたのが契機となって、保存運動が起こったそうである。となると、このバッジは1960年代の末頃のモノか。
バッジには、「ビキニの証人 第五福竜丸の保存を」とある。
左上に見えるマークは、原水禁世界大会のマークのようだ。とすると原水禁大会などのイベントでで配付されたのであろう。