徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

ワトソン.T.ヨシモト氏のIDバッジ

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4月の異動以来、私の生活は一変してしまった。これほど忙しい職場は初めてではないか。昼休みに時間になっても、ほとんど腹が減らず、深夜の残業していてもほとんど空腹感を感じなかった。緊張感のせいだろう。
おかげでこのひと月で体重が減った。
まったく、気分的にもブログの更新どころではなかった。

とはいえ、新採職員とはわけが違う。さすがに仕事の全体像が見えてくるにしたがって心の余裕も生まれ、やっとゴールデンウイークには少しゆっくりしようという気持ちにもなってきた。この連休は楽しくやることにしよう。

今年の冬のこと、私は上野の国立科学博物館に行ってきた。「ひかり展」を見るためだが、同時に日本館で開催されていた「ヨシモトコレクションの世界」をついでに見た。
ヨシモト、と聞いてお笑い業界の吉本興業のことしか思い浮かばない人は相当テレビに毒されていると言わざるを得ない。もっともヨシモトコレクションとはなにか、私にもわからなかったのだけど。

ワトソン.T.ヨシモトは、1909年にハワイに生まれた日系2世の人物である。両親はその2年前にハワイに入植した山口県民であった。
若くして大工見習いとなり、後に実業家として成功を収めた。趣味は狩猟で、世界各地を訪れて大自然に触れてきた。そこで生物の多様性に目覚めて、膨大なほ乳類動物剥製のコレクションを築いた。
晩年、日本の国立科学博物館にその剥製コレクションが寄贈された。現在も科学博物館でそれを見ることができる。今では入手困難な動物も多く含まれているという。
生きた姿を忠実に再現する剥製を作るには高度な技術が必要で、ヨシモトコレクションを製作したアメリカのシアトル市にある会社で作られた。それがまた見事なもので、コレクションの価値を高めている。

さて、前置きが長くなったが、展示会ではヨシモト氏の生涯を紹介したコーナーがあって、そこに画像のバッジが展示されていた。
ヨシモト氏の「身分証明IDボタン」と説明書きにあった。

ヨシモトは第二次世界大戦中にハワイの軍事施設の建設などでビジネスにおける成功への足がかりを得た。このボタンは敵性国家系を持つヨシモトが当時の軍事施設に入構する際のIDとして使用されたものである

OAHU CONST.CO.」というのは、彼が設立した「Oahu Construction Company(オアフ建設会社)」の意であろう。

なお、「ボタン」というのは、英語直訳であって、この場合「button」は、日本語としては「バッジ」と訳した方が正しい。

ハワイといえば真珠湾攻撃の舞台になったところだ。ハワイの日系人たちも様々な苦労を味わったことだろう。このバッジは、その歴史の一端を語っているように思える。