徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 八幡製鉄労組バッジ

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日本の「明治日本の産業革命遺産」が、紆余曲折の末、世界遺産に登録される見通しという。・・・明日の朝になったら実は覆っちゃいました、なんてことにはならないだろうね?

九州、山口を中心として、静岡、岩手まで含む、極めて広域にわたる一群の世界遺産である。
ところが、お隣の韓国が、戦時中の朝鮮人強制労働施設が含まれているとして世界遺産登録に反対を唱え、各国のユネスコ委員にも反対するよう呼びかけを行ってきた。
日韓関係の悪化を懸念する両国政府の間で、お互いの国の世界遺産登録を認め合おうという合意がなされたのもつかの間、いざ登録会議が始まると韓国は異議を唱えだしたらしい。おかげで昨日決まるはずだった登録が今日まで持ち越された。さっき見たニュースでは、なんとか登録にこぎ着けられる見通しらしいが、果たしてどうなるか。

それにちなんで、今日は八幡製鉄労働組合バッジを紹介しよう。福岡県にある官営八幡製鉄所関連施設も、今回の世界遺産リストに含まれている。
Y.S.L.U.八幡製鉄労組」とある横長のバッジだ。
左端に描かれているのは炭鉱のやぐらのようだ。高炉と吹き出す炎らしきものも見える。

日清戦争で得た賠償金をもとに誕生した官営八幡製鉄所は、昭和に入ると、国策により官民の製鉄事業者を統合した日本製鉄株式会社に組み込まれることになる。
戦後はGHQの財閥解体指令により、日本製鉄は解体、1950年に八幡製鉄株式会社が発足。こうして、「八幡製鉄」の名称は、1970年、新日鐵株式会社に改称されるまで使われた。
したがって、このバッジも1950~70年の間に作られたものということになる。

八幡製鉄も、数々の労働争議の舞台となってきた。
官営時代の1920年(大正9年)には8時間労働を求めて、2万人の労働者が大規模ストライキを決行した。開設以来初めて溶鉱炉の火が止められたという。
このバッジは戦後のものだが、組合員もそういう苦難の時代を背負った組織という伝統は感じていたことだろう。

まあ今回の世界遺産登録では、韓国の騒動によって朝鮮人強制労働のことばかり取り上げられているが、それ以外にもさまざまな苦難や悲劇があったことも思い出すべきだろう。

【関連の既出項目】
八幡製鉄株式会社永年勤続章