日本人としては、「大清帝国」というと大昔のことのように感じてしまうが、大正元年がちょうど中華民国元年なのだから、日本の明治時代は中国ではまだ清朝だったのだ。
日本も中国も、帝国主義むき出しの列強諸国とぶつかり合い、変革を余儀なくされていく。正義も悪もあったものではない。ひたすら弱肉強食のサバイバルであった。
日本も中国も、帝国主義むき出しの列強諸国とぶつかり合い、変革を余儀なくされていく。正義も悪もあったものではない。ひたすら弱肉強食のサバイバルであった。
この時代、日本や中国では、外国船との識別のために標識が必要となり、そこで定められた旗が「国旗」として定着していった経緯は共通している。
もっとも、日本と中国ではその意匠はずいぶん違っている。日本では極めてシンプルな白地に赤丸の「日章旗」、対して中国では黄地に龍を描いた「黄龍旗」であった。
黄龍旗が制定されたのは、1862年10月、清朝滅亡の約50年前のことである。
もっとも、日本と中国ではその意匠はずいぶん違っている。日本では極めてシンプルな白地に赤丸の「日章旗」、対して中国では黄地に龍を描いた「黄龍旗」であった。
黄龍旗が制定されたのは、1862年10月、清朝滅亡の約50年前のことである。
画像のバッジは、おそらく中国製ではないと思われるが、詳細は不明だ。珍しい黄龍旗のバッジだ。
幅は約27mm、薄い金属板をプレスして成型している。小さなバッジだ。
プリントされた紙?を金属板で挟み込み、爪で留めるというヤケに手間のかかるツクリをしている。ピンは裏の金属板にロウ付けしてある。
このツクリを見ても一見して最近の作ではない。当時の製品と考えている。
幅は約27mm、薄い金属板をプレスして成型している。小さなバッジだ。
プリントされた紙?を金属板で挟み込み、爪で留めるというヤケに手間のかかるツクリをしている。ピンは裏の金属板にロウ付けしてある。
このツクリを見ても一見して最近の作ではない。当時の製品と考えている。
改めて見ると、旗竿やそこに絡まる紐の様子が細かく再現されて、なかなか芸が細かい。
しかしなんと言っても龍の描写は、この旗を詳しく知らない人でも違和感を感じるほどヘン。もっとこう、左上の赤い玉を追いかけるように首をもたげ口を開いているのが本当だと思うが、そういう問題じゃないほど龍の表情が完全に死んでいる。
しかしなんと言っても龍の描写は、この旗を詳しく知らない人でも違和感を感じるほどヘン。もっとこう、左上の赤い玉を追いかけるように首をもたげ口を開いているのが本当だと思うが、そういう問題じゃないほど龍の表情が完全に死んでいる。