徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 南大東島開拓90周年記念メダル ~八丈島にて~

つかの間の夏休み、八丈島に行ってきた。伊豆諸島には大島しか行ったことがないので、もちろん初めての訪島であった。

竹芝桟橋から船で10時間。台風が接近するあいにくのタイミングだったが、島めぐりは十分に堪能でき、いろいろと発見もあっておもしろい旅であった。
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三原山から西山(八丈富士)方面を望む。雲がなければさらに絶景なのだが・・・

行ってみれば、八丈島全島これ火山の島で、まあ伊豆諸島なんてみんなそんな感じだと言ってしまえばそれまでだが、海に行っても砂浜などはない(人工浜は除く)。ジャリジャリした溶岩のかけらに埋め尽くされていて、そのため浜はどこも赤黒く見える。東西2つの火山がくっついてできたため、島はヒョウタン型をしている。中央部に比較的平坦な土地があって、そこに市街地が広がっている。海岸の多くは切り立った断崖で、そのために見晴らしのよいところから見るとあちこちにダイナミックな光景が見られる。海あり山あり、小さいながら実に観光資源に恵まれたところである。
条件がよければ遠くに御蔵島が見えたが、後は一面果てしない海。海は海でも、瀬戸内海とは全然違う。

絶海の火山島だけに島民の歴史は厳しかった。土地は痩せ、農業には不向きなところで、しばしば飢饉に見舞われたという。流人の島でもあったが、ここに流された人々には都育ちの文化人、教養人も多く、ここでの暮らしはさぞ堪えたことだろう。島には宇喜多秀家の墓などもある。

さて、島には廃校を利用した民俗資料館がある。旅先では、このような施設には必ず立ち寄る私である。土地の風土や独自の歴史を知ることができ、決してバカにしたものではない。しかも、この資料館はかなり展示物も豊富であった。
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ここはバッジのブログなので、それに関連したものをあえて挙げるとすればこれ。
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南大東島開拓90周年記念のメダルである。南大東島の開拓は明治33年に始まったとあるので、90周年は1990年に当たる。私は知らなかったが、南大東島は、八丈島移民が開拓したらしい。その縁で、八丈島南大東島は姉妹島関係にある。
南大東島といえば、八丈島をさらに上回る絶海の孤島。しかし、南大東島では八丈系移植民と琉球系移植民もいて、対立の歴史もあったようだ。こうなると俄然興味がわいてくるのだが、この資料館を訪れるまで全く考えたこともなかった地方史である。
なんのヘンテツもないメダルであるが、在島50年以上の島民に記念品として贈られたメダルなのだろう。ということは、南大東島に戦前から住んでいたことになる。戦前の南大東島は、民間の製糖企業に事実上治められていたという特異な歴史を持つ。

八丈島には、アブラゼミやミンミンゼミがいない。島に唯一いるセミはなぜかツクツクホウシで、その無数の鳴き声がひとけのない旧木造校舎に降り注いでいた。その声を聞きながら、小さな離島がそれぞれ過ごしてきた壮絶な歴史に思いを馳せていた。いつか私が南大東島を訪れることもあるだろうか。

ところで、八丈島での発見といえばなんといってもこれ!!
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生まれて始めて見たサツマゴキブリ!子供の頃昆虫図鑑で「日本にこんなゴキブリがいるのか」と思っていたものだ。島で見た瞬間わかった。そのへんの倒木や石の下に普通にいる。羽が退化していて、飛翔能力はない。コイツとこんなところで出会うとは・・・ちょっと感銘を受けた。

(嫌いな人はごめんなさい。でもコイツは人家の中にいるゴキブリ類とは違って森林性の昆虫であって、衛生上の理由から特段嫌悪すべき科学的理由はありません。それを不衛生だとと言うなら、あらゆる昆虫、いやあらゆる生物も不衛生と言わねばならず、その中にはわれわれ人間自身も含まれることを忘れるべきではありません。断言してよいですが、様々な病原菌を人間にうつす最悪の媒介生物、それは人間自身です。ごく心理的好き嫌いを、根拠のない不衛生を理由に正当化し何ら疑問を抱かない姿勢は、非科学的にして反知性的と言うべきでしょう。)