大学、といっても学校教育法に規定された文部省(当時)が所管する一般の大学ではない。
労働大学は、日本社会党左派の党学校として1954年に設立され、その後各地職場での大衆学習運動として発展した。日本社会党は1996年に社会民主党に改名、民主党と分裂して、野党第一党の座から少数政党へと転落していった。労働大学も、労働運動の低迷や労働者の組合離れを受けてか、90年代末に解散された。が、どうもその後再建されたようで、現在も労働大学出版社からは「月刊労働組合」や「月刊まなぶ」が出版されている。
労働大学は、日本社会党左派の党学校として1954年に設立され、その後各地職場での大衆学習運動として発展した。日本社会党は1996年に社会民主党に改名、民主党と分裂して、野党第一党の座から少数政党へと転落していった。労働大学も、労働運動の低迷や労働者の組合離れを受けてか、90年代末に解散された。が、どうもその後再建されたようで、現在も労働大学出版社からは「月刊労働組合」や「月刊まなぶ」が出版されている。
さて、バッジを見てみよう。
「労大」と書かれた横長のバッジである。上は裏面にも何も文字はなく、労大参加者用の証章と思われる。下は「労大25」、裏面には「労働大学25周年」とあり、ということは1979年の25周年記念イベント用のバッジと思われる。バッジのツクリや状態から、上のバッジの方がずっと古いモノであると推測される。
「労大」と書かれた横長のバッジである。上は裏面にも何も文字はなく、労大参加者用の証章と思われる。下は「労大25」、裏面には「労働大学25周年」とあり、ということは1979年の25周年記念イベント用のバッジと思われる。バッジのツクリや状態から、上のバッジの方がずっと古いモノであると推測される。
労大バッジは他に見たことがなく、比較しようがないのだが、この文字デザインの雰囲気など見ると、創立当初から引き継がれてきたのではないかという気がしてならない。
このデザインは、戦前の労働運動バッジの雰囲気を色濃く残しており、戦後のモノなのになぜか時代を感じさせる。
このデザインは、戦前の労働運動バッジの雰囲気を色濃く残しており、戦後のモノなのになぜか時代を感じさせる。