徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 龍池会会員章

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古いモノを入手する機会は、多くの場合ただ一度きり。その時見逃してしまったら、あとで後悔しても二度と同じモノを手にすることはできず、コレクターはその後果てしない後悔に悩むこととなる。この体験のないコレクターなど存在しないと断言してよい。

バッジは、そのアイテムとしての性格上大量生産品である。型を作り、金属片を圧力で刻して、同じモノをいくつも作るのが普通だ。だから、いわゆる書画骨董の類に比べれば、大量生産品だけに再会を期すこともできなくはないとは思っている。が、やはりレア物はレア物。再会できる確率はやや高めというくらいに過ぎない。

だから、ある正体不明のバッジと出会ったその時、買うかどうかの判断は難しい。バッジの正体が分かれば話は早いが、分からないときはサテどうするか。賭になる。
額が安ければ、よくわかんないけどとりあえず押さえておくか、ということになる。当たれば儲けモンだし、外してもリスクは少ないからだ。
が、実際問題、買うとなるとたとえ値段が安くても、少しはどうしようか考える。要らないモノは、ただでも欲しくなどない。後は、コレクターとしての勘か、好みの問題だ。

このバッジも、そんなモノのひとつ。ノミの市で、正体が全く分からないまま買った。
ただ、裏表両面に、篆書で「龍池会とだけある。これは何だ?
だが、なんだか古いモノの雰囲気がある。材質は銀に金メッキのようだ。不思議と厚みのあるツクリで、小さいながら重量感がにじみ出ている。上部の留め具の形もいかにも古そうだ。正体は不明ながら、ツクリの丁寧さを感じる。こういうバッジに関していうと、全体の厚みがあると不思議と高級感が増す。
幸い、値段はうんと安い。これは買いだ。

帰ってからネットでいろいろ調べてみると、「龍池会」なる組織の正体が分かってきた。
明治維新後、怒濤のごとく流入してきた欧米文化に、日本の伝統美術はたちまち衰亡の危機に直面することとなった。そこで、危機感を抱いた関係者により日本伝統美術の保護と復興を目的に設立されたのが、「龍池会であった。明治12年(1879年)のことである。会頭は、日本赤十字社創始者で、ヨーロッパの万博で日本文化を紹介してきた実績のある、佐野常民
龍池会は、明治20年(総裁は有栖川宮熾仁親王)、日本美術協会と名を変えて現在に至っている。

つまり、この盾型の会員章は明治12年から20年までの8年ほどの間に作られたモノということになる。
ただ、同名の別組織という可能性もないでもないのだが、明治初期という製作時期だけは、この会員章の雰囲気と合っていると思っている。