徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 毛沢東・林彪バッジ(文化大革命)

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失脚が伝えられていた北朝鮮のナンバー2、張成沢チャン・ソンテク)が先日処刑されたという衝撃的なニュースが飛び込んできた。処刑は今月12日に執行され、機関銃による射殺であったともいう。
北朝鮮メディアでは、張成沢の悪行の数々を暴露、「犬にも劣る醜悪な人間のクズ」と断罪している。

しかし、よく考えてみるまでもなく、そこまでひどい人物が、なぜこんな大きな権力を与えられていたのかと疑問に思わないほうが不思議というべきであろう。そして、だれが彼をこんなに重要な地位に就かせていたのかとも。
もっとも、そんな疑問を表明するような人間は、北朝鮮で生きのびることはできない。政治が荒れ狂う時、自分はどうすれば害が及ばないのか、どう立ち回れば最大限の利益が得られるのか、かの国の住民にはそれこそが最大の問題なのである。

私はこの、「犬にも劣る醜悪な人間のクズ」という表現を見た時、「ああ、北朝鮮ではまだ文化大革命的政治文化が息づいているのだなあ」という感慨を改めて持った。
張成沢の悪行として、政財的混乱を招いたとか、国家転覆を謀った、というまあいわばスケールの大きな反逆行為もあるが、「あらゆる種類のポルノを友人に配付」「カジノで大金を浪費」などというのまであって、大衆の反感を煽るようきちんと計算されている。そして無慈悲な銃殺。
21世紀にもなって、まだやっているのかと、平壌世界遺産にしようという半ばジョークがあったが、この政治文化自体、世界無形文化遺産にしてあげたいくらいだ。人類の、負の遺産としての。

さて、こういう政治動乱は、1960~70年代に中国で荒れ狂った。文化大革命である。10年続いたとされるこの混乱期は、いくつかのフェーズに分けられるが、まず初めに最大の標的とされたのが、劉少奇国家主席毛沢東に次ぐナンバー2である。この後、頭角を現したのが人民解放軍トップの林彪であった。林彪は、事実上毛沢東の後継者としての指名を受けるが、1971年、反毛沢東クーデターを起こしたとされ、亡命途中に墜落死した。
林彪亡き後は、いわゆる四人組が勢力を伸ばしていくのだが、毛沢東が死去するや、軍や行政を握る幹部らによって排除され、文化大革命はようやく収束を見たのであった。

長くなった。
1969年の党大会で後継者指名をされた林彪は、最高の地位に登りつめた。その頃作られたのが毛沢東と並んで描かれたバッジである。毛林バッジと呼ばれる。
これまでも何点か紹介したことがあるが、「犬にも劣る醜悪な人間のクズ」では済まない徹底否定された林彪のこと、あちこちから名前や肖像が消された。それまでは副主席と崇められていたのに。

バッジからも消された。画像のバッジからは、林彪だけが削り取られている。右側には、毛沢東と並んで白い歯を見せて笑う林彪がいたはずなのである。この写真は有名なモノで、天安門の楼閣上に毛沢東と並んで撮られたものだ。

状態の美しさを尊ぶコレクションとしては、致命的な傷モノということになるだろう。だが、これを北京の古物市場で見つけた時の私には、歴史の熱気を封じ込めた証拠品に思えた。
一体、このバッジの所有者は、林彪の肖像を削り取りながら、当時いったい何を考えていたのだろうか。

文化大革命とはなんだったのか、その転変を見ていると、人物の評価などというものは、たちまち、いくらでも簡単に変わるものだということだけは、確信できる。張成沢の評価も、遠からず変わるに違いない。いつの日か、どういう形かわからないが、北朝鮮金王朝もいつか終焉を迎えることだろう。
合掌。