徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 札幌オリンピックバッジ(1972年)

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子供の頃は、大晦日というと何か特別な、ワクワクする日であったような気がするな。すでに2016年も数時間を過ぎた。明けましておめでとうございます。

さて、2015年を振り返ってみると、海外ニュースはテロに始まりテロに終わったようだ。まったくイヤなことである。
国内ニュースでは、個人的に関心があったのは、例の東京オリンピックのエンブレム問題であった。日本は遙かに平和な年だったともいえよう。

エンブレムの選考について、外部有識者の報告書が発表された。私は興味深く新聞各紙でその記事を読んだ。「不正」はあったが、最終的には作品の決定には影響しなかったというものだった。

もし私が仕事をしていなかったら、学生時代にこのニュースに接していたら、きっと今とはまったく違う感想を持っただろう。審査委員による選考過程の不透明さを、「とんでもないことするなあ、なんでこんなことするんだ」と批判して、それで終わりだったろう。
だが、私も社会人としてそれなりの経験も積んできた。今の私には、この問題を簡単に批判して切り捨てることはできない。それは「汚れた大人の論理」に染まったということだろうか。たぶん、そうではない。
誰もが絶対に間違いのないように、最善の結果が出るように、たくさんの有能な人たちが知恵を絞ってきた、その結果が白紙撤回だったのだ。

適切でないじゃないかと言われれば、それはその通りだ。特に審査委員会の審査方法は、公平性に欠ける。が、その「不正行為」の目的は、最高の作品を集めるために行われたことだったのだ。
外部有識者の報告を、私も新聞各紙で読んだ。読んでいて、息苦しくなった。「不適切」な行為は、関係者の「最高の作品をなんとしても選ぼう」という使命感を感じたからだ。結果として、公平性を欠き、「不正」と断じられることになった。

どうも私には、批判する気になれない。私も関係者の1人だったら、同じことをしていたかもしれないと思うからだ。よい結果をもたらすと信じて、積極的に「不正行為」をしたかもしれない。
どうなのだろう?世の人たちは、もしその場にいたとして、「それは不正です。そんなことをすべきではありません」と声を上げることができるのだろうか。それを思うと、軽々に批判の声を上げる気にはならない。ふう、と溜息をつきたくなる。

さて、この問題の東京オリンピックエンブレムの審査委員長を務めたのが永井一正である。有識者報告書の中でも「不正」の中心人物となっている。今年86歳、日本のグラフィックデザイナー界の重鎮である。
最も有名な作品は、1972年の札幌オリンピックのエンブレムであろう。それをバッジにしたのが、画像の一品である。
正方形のユニットを3つ縦に重ねた形で、日の丸、雪の結晶、五輪が組み合わされている。
おもしろいのがこの3つのユニットは並べ替えが可能で、横長になったり、縦横に組み合わせたりして、パターンの変形が可能なのだ。なかなかおもしろいアイデアだ。
実際、この3つのユニットを横に並べたネクタイピンも手元にある。

特に枠目一杯に広がった日の丸は、亀倉雄策作の1964年東京オリンピックのエンブレムに似ているという指摘もあるようだが、なにしろ札幌オリンピック東京オリンピックからわずか8年後に実施されたのだ。準備期間を考えれば、東京の直後といっていい。当時は、夏の東京の対をなすイベントとして、共通の意匠を取り入れたと捉えられたのではないか。
一見して、東京オリンピックエンブレムの発展版という感じを受ける。

余談だが、このバッジ、東京神田の中外徽章の製作だ。台紙に書いてあったのを今気がついた。