徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

アメリカ エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世バッジ

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どうもアフリカのバッジというのは私のコレクションにはもともと少ないのだが、おもしろいものとなるとさらに少ない。その中で、とても興味を引かれるバッジを紹介する。

帝国主義ヨーロッパ諸国の植民地の草刈り場となったアフリカ大陸。その中にあってほとんど唯一独立を維持していたのがエチオピア帝国だった。なんだかこの国名だけで惹かれるものを感じる。
ハイレ・セラシエ1世は、そのエチオピア帝国のラスト・エンペラーとなった男だ。

エチオピア皇帝、という肩書き自体もまた迫力十分なのだが、彼の治世はまさに波瀾万丈。
1930年に即位するも、1934年から始まったファシスト・イタリアの侵略により、1936~1941年はイタリア統治下に置かれた(イタリア領東アフリカ帝国)。
50万ものエチオピア帝国軍を組織してイタリア軍に抵抗するも、彼はイギリスに亡命。靴も満足に履かないエチオピア軍兵士に対して、イタリア軍は大量の毒ガス兵器まで投入したと言われる。
・・・しかし、イタリアにとってエチオピアがコストに見合う侵略だったのかどうか、甚だ疑問だと言わざるを得ない。

しかし、戦後も混乱は続いた。
1974年、内政の混乱や干ばつによる飢饉などで軍のクーデターが発生。ハイレ・セラシエ1世は捕らえられ廃位、拘禁中1975年に死去。こうしてエチオピア帝国は幕を閉じた。

・・・しかし、この人のもうひとつの真骨頂は、「ラスタファリアン運動」で生き神として崇められたことじゃないだろうか。
黒人のアフリカ回帰運動の提唱者として知られるマーカス・ガーベイという黒人運動指導者が、1920年代「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」と声明。ところが、1930年にエチオピアハイレ・セラシエが即位したのだが、ガーヴェイの予言は的中した、と信じる信奉者が続出。黒人たちから自分たちをアフリカに帰してくれる救世主として崇められるようになった。
皮肉なことに、「予言者」ガーヴェイも、「生き神」たるセラシアも、そんなことは全く期待も予想もしていなかったことだろう。
どちらかというと、後に公民権運動に発展していく黒人の社会改革意識が、大衆的宗教的感情と結びついてカルト化したと見えなくもない。

実はこのバッジもラスタファリアン(信奉者)のバッジである。
裏面の刻印から、アメリカのシカゴのメーカーの制作であることがわかるが、ジャマイカを中心として、アメリカ黒人の間でもラスタファリアン運動は熱狂的に盛り上がったのであった。
バッジには「神は彼の誕生を祝福する」「我々の王万歳」とセラシアをたたえる言葉が並ぶ。
旗はエチオピア帝国の国旗、肖像は皇帝正装のセラシアである。

余談ながら、彼の息子アムハ・セラシエ(1997年没)は亡命し、アメリカでエチオピア皇帝を自称していたらしいが、もしこの人のバッジがあれば是非ほしいと、本気で私は思ってます。