徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 体力章(1940,1941年)

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読売新聞のくらし欄で、「家庭面の一世紀 漫画と戦時生活」という連載をやっている。
ここで、1941年1月の読売新聞で掲載された4コマ漫画が紹介されている。「大和家の翼賛日記」というタイトルがスゴイ。

大和家でのお見合い。相手の青年が紹介される(セリフは一部補足)。
仲人「こちらはお家柄もよくお金持ちで・・・(云々)」
大和家主人「ワシは人物本位でして。ときに体力検査章はお持ちかな。なければこれを担いでご覧なさい」
と、庭の米俵を指さす。青年、失敗してペシャンコに。
大和家主人、青年に背を向けて「残念じゃが」

この当時、労働力や兵力として、男性には体力がなによりも求められていたのである。ちなみに、一俵は60kgもあるので、絶対に私は担げない。俵の下敷きになるところまでもいかない。

ここで出てくる体力検査章というのは、昔のバッジに関心のある人なら誰でも知っているだろう。体力章ともいうバッジである。
国民の体力向上を図るため、徴兵適齢期の15~25歳の男子を対象として、体力章検定というのが行われた。走り幅跳び、手投げ弾投げ、短距離走長距離走、懸垂、運搬の能力が計測された。初級、中級、上級に分類され、合格するとバッジがもらえた。なお、この記事によると、1943年からは女性にも体力章検定が導入されたらしいが、バッジの種類が違うのかどうかはわからない。

画像のバッジがそれで、数はかなり作られたらしく特に珍しいモノではない(この制度は戦争終結とともになくなった)。画像のバッジは、裏面にそれぞれ「体力章 皇紀2600年」、「体力章 皇紀2601年」とある。
初、中、上級に別れていたらしいが、それぞれどのクラスかもよくわからない。メッキの色からは、銅色と銀色のバッジに見えるので、初級と中級のものだろうか。左側はペイント、右側は七宝仕上げである。

バッジとは縦横20mm程度しかなく、小型であまり目立たない。この形が何を表しているかも一見よくわからず、ツクリもただの大量生産品なので、バッジとしてのインパクトというのがほとんど感じられない。どうも、アリガタミに欠けるのである。
それでも、より上級のバッジを獲得しようと、青年たちの体力向上の意欲をかき立てることができたのだろうか。