またイタリア編に戻ります・・・
えー、正直なんのバッジかよく分からないのだが、下に「OPERA BALILLA(バリッラ事業団)」の文字がみえる。バリッラとは、ファシスト時代の少年組織で、まあドイツにおけるヒトラー・ユーゲントみたいなものらしい(というか、イタリアの方が本家なのか)。
こうしたバッジ類でもそうだが、プロパガンダ上のムッソリーニの肖像というのは一種独特な雰囲気を持っている。その印象を一言で言うと「マッチョイズム」。太い首やガッシリとしたあご、厚みのある胸、またそれらを誇示する表情やポーズを好むセンス・・・
そして、彼が好んだのが、古代帝国の栄光であった。
このあたりの志向にも、マッチョイズムのニオイがどうにもプンプンただよう。
このあたりの志向にも、マッチョイズムのニオイがどうにもプンプンただよう。
ローマを訪れる観光客で、かのコロッセオ(闘技場)見物に行かない者は、まずいない。有名すぎるぐらい有名な古代建造物だが、それでも実際に見るとやっぱり感銘を受ける。
もちろん私は初めて見たわけだが、近くに寄るとやはり傷みが目立つ。まあ長年キリスト教徒の破壊を受け続けたにしては、よく残ったと言うべきかもしれない。
もちろん私は初めて見たわけだが、近くに寄るとやはり傷みが目立つ。まあ長年キリスト教徒の破壊を受け続けたにしては、よく残ったと言うべきかもしれない。
ここは古代ローマの政治の中心地だったわけだが、ファシスト政権もここを国の象徴として重視した。
このフォーリ・インペリアーリ通りは、古代遺跡をぶち抜いて、ファシスト本部のあるヴェネチア広場からコロッセオが見えるように作った政治的装置としての道なのであった。
実は、ローマに行ったとき、これがどこのなんという道路だったか忘れていたのだが、、コロッセオを訪れたとき、ああムッソリーニが作った道路ってこれのことか、とすぐにわかった。
そのくらい目立つ大通りである。
このフォーリ・インペリアーリ通りは、古代遺跡をぶち抜いて、ファシスト本部のあるヴェネチア広場からコロッセオが見えるように作った政治的装置としての道なのであった。
実は、ローマに行ったとき、これがどこのなんという道路だったか忘れていたのだが、、コロッセオを訪れたとき、ああムッソリーニが作った道路ってこれのことか、とすぐにわかった。
そのくらい目立つ大通りである。
ムッソリーニ率いるイタリア・ファシストが政権を握っていたのは1923~1943年の20年間だが、この間、首都ローマでは数々の独特の建築が作られている。
中でも強く印象に残ったのが、エウル(EUR)地区だ。1942年に開催を予定されていたローマ万博会場となるはずだった場所である。完成したのは戦後だが、主要建物の多くはファシスト政権時代に完成したし、基本設計もそのままだそうである。
中でも強く印象に残ったのが、エウル(EUR)地区だ。1942年に開催を予定されていたローマ万博会場となるはずだった場所である。完成したのは戦後だが、主要建物の多くはファシスト政権時代に完成したし、基本設計もそのままだそうである。
まず、ここにあるローマ文明博物館(Mozeo della Civilta Romana)。
一見して、うわっなにこれ?と感じさせる作り。円柱がズラリと立ち並ぶ回廊といい、正面の入り口を飾る鷲の飾りといい、古代ローマ建築の模倣(新古典主義というらしい)になっている。
一見して、うわっなにこれ?と感じさせる作り。円柱がズラリと立ち並ぶ回廊といい、正面の入り口を飾る鷲の飾りといい、古代ローマ建築の模倣(新古典主義というらしい)になっている。
しかし、インパクト満点でひときわ異彩を放っているのが、労働文化宮(Palazzo della Civilta Lavoro)。
遠目に見ても一段と目立つ。うわ、なにこれ!
コロッセオの模倣なのは明らかで、「四角いコロッセオ」ともいわれる。もともとコロッセオではアーチのひとつひとつに中に神々の彫像が置かれていたのであるが、その辺も1階部分だけだが再現している。
あまりにインパクト満点だったので、バシバシと写真を撮りまくった。
遠目に見ても一段と目立つ。うわ、なにこれ!
コロッセオの模倣なのは明らかで、「四角いコロッセオ」ともいわれる。もともとコロッセオではアーチのひとつひとつに中に神々の彫像が置かれていたのであるが、その辺も1階部分だけだが再現している。
あまりにインパクト満点だったので、バシバシと写真を撮りまくった。
残念ながら、現在この建物の周囲には柵が設けられ、中には一切入ることができない。残念である。
内部の様子はどうなのか、ぜひ見てみたかったなあ。
(迫力!近くから見上げた写真)
内部の様子はどうなのか、ぜひ見てみたかったなあ。
(迫力!近くから見上げた写真)